「泣くなら家帰りなよ!」
怒られて当たり前だった。
言葉も出せず、うつむくことしかできなかった。
小さなフレンチレストラン
私は高校を休学していた。
理由はクラスのイジメだった。女子たちの間での無視や仲間外れといった話はよく聞くし、私自身も実際に無視されている女の子を見たことがある。でも時間が経てばその女子たちは元通りの関係になって、新たなターゲットとなった女の子が無視され始めるようになる。私はそんな女子たちが繰り広げる終わらない人間関係に疲れていた。そして自分がそのターゲットになった時にはもうそれが耐えられなくなってしまっていた。
両親は休学に理解を示してくれ温かく見守ってくれた。だが、平日の昼間から自宅にこもっていると親への罪悪感や不安に襲われるようになり、休学している期間だけという約束で祖父母の家に身を寄せることになった。しかし祖父母の家でもそれは変わらなかった。
日々の生活がなんだかとても息苦しくて、苦痛で仕方なかった。学校生活からも社会からも切り離され、疎外感を感じていた。
そんな鬱屈した思いを抱えながら近所を歩いていたある日、フレンチレストランの窓に貼られた「バイト募集」の文字が目に飛び込んできた。気づくと私はその張り紙を食い入るように見つめていた。小さなフレンチレストランだった。
時間を持て余していた私は、歩いて5分ほどの距離にあるそのフレンチレストランで働くことにした。オシャレそうだしいいと思った。
初バイト
「もしもし、張り紙をみて連絡しました」
私は祖父母の家に帰宅後すぐに、そのフレンチレストランに電話をかけた。翌日には面接を受けることが決まった。
「高橋舞さんね」
レストランの経営者は50代くらいの夫婦だった。ご主人はシェフとして厨房で料理をし、奥さんはホールで接客をしたり従業員の給与の計算をしたりしているようだった。
面接の最中、私は緊張しっぱなしだった。奥さんはガチガチに緊張している私を見かねてハーブティーを入れてくれた。やさしい味がした。
「なんていうハーブティーなんですか?」
「ミントとアップルティーよ」というと、奥さんはにっこりと微笑んだ。
「いつから来れる?制服買わないと」
「すぐにでも働けます」とうつむきながら小さな声で言うと、
「なら、来週の火曜日からお願いしようかな」奥さんはもう一度にっこりと微笑んだ。
それから厨房にいたご主人に私を紹介してくれた。ご主人は有名なレストランで総料理長まで務めた経歴の持ち主らしい。そのあと、このレストランの先輩として紹介されたのが真由美さんだった。真由美さんは私より5歳ほど年上の背筋がすらりと伸びた人だった。この店が開店するのと同時にウエイトレスとして働き始めたようで奥さんからの信頼も厚かった。
こうして私の初バイトが決まった。
翌週の火曜日、私は人生初のバイトに出勤した。
奥さんが事前に用意してくれたブラウスとパンツ、そしてレストランエプロンを身に着けると少し大人になった気分がした。
真由美さんから、最初しばらくは雑用をこなしつつ奥さんや自分の接客を見て雰囲気を掴むよう指示を受けた。銀製のナイフやフォークやグラスの磨き方やオーダーの取り方、ナプキンのたたみ方などを教えてもらった。真由美さんが私の指導役だった。
真由美さんはこのレストランで働き始めてから2年とのことで、ほとんどのことを一人でこなすことが出来た。接客が上手で、ちょっとしたトラブルもユーモアを交えながらサラッと対処する姿はとても大人でカッコよく思えた。
失敗の毎日
しかし真由美さんの指導はとても厳しかった。
一番初めに真由美さんに怒られた時のことは今でも鮮明に覚えている。
ある日私が食器を洗おうとしていた時のことだ。そのレストランは食器にまでこだわっていたこともあり、お皿一枚が1万円を超すと聞かされていた。私は手を滑らせてその食器を2枚も割ってしまった。そんな高価なお皿を派手に割ってしまったショックで私は半べそになり、その場にへたり込んだまま動けなくなった。
「泣くなら家帰りなよ!」
怒られて当たり前だった。
ディナータイムの忙しいときに厨房内で泣いているスタッフがいたら、少人数で切り盛りしているこのレストランは回らない。
しかし当時の私は社会経験もなく、怒られた経験もほとんどなかった。言葉も出せずうつむいて泣くことしかできなかった。
その後二人の様子に気が付いた奥さんが厨房内に駆けつけてくれ、一緒に割れたお皿の片付けをしてくれた。家に帰らずに済んだものの、この一件があって以降、私は真由美さんにおびえるようになっていった。
「高橋さん、シルバーのスプーンの磨きがあまいよ?磨き直し!」
1ヶ月経っても相変わらず私は真由美さんに注意をされっぱなしだった。私は大雑把な性格だったから、細かなことに気が付かなかった。ミスをするたびに真由美さんに怒られ、一からやり直すのだった。
その頃になると簡単な食事をお客様にお出しする程度の接客をさせてもらえるようになっていたのだが、
「お客様にお尻を向けないで!」
真由美さんにとって私の行動一つ一つが気にさわって仕方がなかったに違いない。デザートを運ぶときによろめいてしまい、シェフがせっかく綺麗にソースをかけたフロマージュブランを落としてしまってものすごい剣幕で怒られた。
また、エスカルゴの乗った重いお皿を運ぶ際に鉄板に手が触れてしまい、熱さに驚いた瞬間にお客様にぶつかってしまった。真由美さんはすかさずフォローをしてくれたものの、二人きりになった時に「素人だってもっと上手に運ぶと思うよ?」なんて私に嫌味を言うのだった。そんな真由美さんからの言葉を、火傷した手を冷やしながら私は聞いていた。
つらいことはなぜかまとまって続く。
「舞ちゃん、今日も元気そうだね!」
レストランの常連、小林さんがテーブルにつくなりそう言った。真由美さんは満面の笑みで小林さんのコートをハンガーにかけながら、こちらを見てふんと鼻を鳴らした。
私は彼が苦手だった。小林さんはお酒が大好きなのだが、酔っぱらうととにかくしつこかった。
グラスワインのお代わりを小林さんのテーブルに届けにいった際に「君、高校生?その割には昼間もここで働いてるよね?」なんて言われた。小林さんに悪気なんてなかっただろう。疑問に感じたことを、ただ口にしたに過ぎないのだと思う。しかし一番のコンプレックスをつつかれると、私は胸が痛んだ。
私は鈍くさくてミスを繰り返していた。だから必死で頑張ろうと思った。しかし時折、逃げ出したくなることもあった。
一番つらかったのは、真由美さんに自分の人生そのものを否定されたときだった。
「やっぱり人間逃げたら終わりよね」
「将来どうするつもり?」
「このままじゃ、ちゃんとした大人になれないね」
と何度も言われた。
このまま学校から逃げていてはいけないことも、きちんと将来のことを考えなければならないことも、そんなことぐらい私だって分かっていた。分かっていたからこそ、不安や焦りを感じて苦しんでいた。私は真由美さんにそんなことを言われるたびに、どうやってこのレストランを辞めて逃げ出そうかと考えるようになっていた。
学校を休学してもなお、人間関係のわずらわしさから逃れられないことがつらかった。
青豆のスープ
「舞ちゃん、ほらシェフが味見してみてって!」
レストランが開店する前の掃除が終わって、外をぼうっと眺めている私に奥さんが言った。
私ははっとして手に持っていた雑巾をバケツに入れて厨房に小走りで向かった。厨房内に入ると私服姿のシェフと奥さんが立っていて、私にスープ皿を渡してくれる。味見をするようシェフと奥さんにお願いされた。私はスプーンですくうと、それをそっと口に運んだ。
「おいしい!」
青豆の風味が口いっぱいに広がり、あまりのおいしさに言葉が口をついて出た。
「舞ちゃんがおいしいっていうなら大丈夫だな。このスープは今日から提供しよう」
シェフはニコニコ笑ってそう言った。
私はフレンチ料理だってイタリア料理だって良く知らない。子供舌の味音痴だ。シェフと奥さんは私を元気づけるために味見をさせてくれたのだった。私は胸が温かくなるのを感じた。 もう少しだけ頑張ってみようと思った。
「舞ちゃんさ、人生なんて長いんだから、何とかなるんだよ。キミなら大丈夫!」
ある日、酔っぱらって顔を真っ赤にした小林さんがそう言った。カレーを配膳しにいった時にそう言われた。
小林さんはべろんべろんに酔っていた。そんな小林さんは相変わらず嫌だったけど、学校や社会、どこへいっても人間関係に悩み、中途半端だった私は小林さんのこの言葉に妙に感銘を受けた。
いつも酔っ払ってばかりいる小林さんの生き方が「何とかなる」という言葉に妙な説得力を与えていた。
その後も彼は週に3回は来店し、その度に私を気遣う言葉をかけていってくれた。初めは苦手だった小林さんのことがいつのまにかそんなに嫌ではなくなっていた。そしていつからか小林さんは、私に元気をくれる存在になっていった。
私は自分のできることを一つ一つ丁寧にこなしていこうと心がけた。何とかなる、前に進もうと思った。
バイトを始めて4か月ほど経っていた。まだまだ真由美さんに怒られることはたくさんあったが、少し仕事が楽しいと思えるようになっていった。
もっと知りたい
気持ちを切り替えたのが伝わったのか、真由美さんがめずらしく私の作業を手伝ってくれた。一緒に作業しているとちょっとは認められたのかな、なんて少し嬉しかった記憶がある。
他の常連のお客様からも可愛がってもらい、食事を運ぶ際にもちょっとした会話ができるようになっていった。内容はたわいもないものだったが、お客様とコミュニケーションをとることに私は仕事のやりがいを感じるようになっていた。
もっとお客様に喜んでもらいたいと思った。そのためにはフランス料理の知識が必要だと思った。
私は今までとは人が変わったように、奥さんや休憩中のシェフ、時には真由美さんを捕まえては質問しまくった。真由美さんは面倒くさそうに「自分で調べたら?」なんて言うこともあったが、私のしつこさに負けたのかフランス料理に関しての基礎知識を教えてくれるようになった。
知識を身に着けたところで、すぐに役に立つわけではなかったが、お客様からポワレとムニエルの違いなんかを聞かれた際には、きちんと答えることができた。お客様が「そうなんだ!よく知ってるね」と喜んでくれる姿を見て自分も嬉しくなった。
この時に得た充実感は今でもよく覚えている。
奥さんとご主人がスープをくれたあの時と同じ、胸の温かさを感じたのだった。
思い出
「3年1組。高橋舞さん」
8ヶ月経って、私は高校に復学した。
1年休学していたから、1歳年下の子と一緒に学生生活を送ることになる。同じクラスの子も本来であれば1学年上である私に気をつかっているのが見て取れた。
だから、私から話しかけた。「よろしくね」と。
私は自分からコミュニケーションをとることが億劫ではなくなっていた。
レストランを辞めるとき、奥さんとシェフそれから真由美さんに、復学することを伝えた。みんな喜びながら、「いつでも戻っておいで」と笑顔で私を送り出してくれた。お客様も、「寂しくなるけど頑張れよ!」とお別れのプレゼントをくれた。相変わらず酔っぱらっていて呂律が回っていなかった小林さんからは「舞ちゃんなら絶対大丈夫!」というありがたい言葉を頂いた。
私がフレンチレストランでバイトをしていた期間は8ヶ月という短い時間だった。だが今思い返すと人生でもっとも学びのあった時間だった。この8ヶ月の思い出は、今でも私の財産になっている。