「おじいちゃん、今日は俺の嫁がお客さんから笑顔がいいって褒められたんだよ」
「おじいちゃん、俺の嫁にも醤油を渡してやってくれよ」
吐き気がした。なぜ好きでもない人の嫁を演じなければならないのか。
近場のアルバイト探し
当時大学生だった私は学校の近くのアパートで一人暮らしをしていた。実家からの仕送りはあったけれど、家賃や食費などを支払ってしまうと、お金はほとんど手元に残らなかった。
でも華の大学生、おしゃれもしたいしメイクも楽しみたい。友達と外食だってしたい。そう思った私はアルバイトを探すことにした。
できればバイト先は徒歩か自転車で行けるところがいい。駅が近くにあることはあるが、アルバイトのためだけにわざわざ電車に乗ってどこかへ行くというのは時間がもったいない気がした。
近所を歩いて募集の張り紙を探そうと思って、まずは家と大学の間にある店を片っ端から覗いていった。
パチンコ屋、居酒屋、ちょっと高いお酒を出す店。それらは時給も高く、夜も遅くまで働けるので私にとっては魅力的だった。だが、わりと厳しい家で育ったためアルバイト一つするにしても親が納得するような店でないと、どうせ反対されることがわかっていた。
住宅街の方まで歩いて来た。ピンとくるアルバイトはまだない。そのまま通り抜けて私は大学の前の道まで出た。正門をくぐらずに右折すると、商店街がある。
商店街入り口の肉屋のコロッケには2、3人が列を作っている。そこかしこに井戸端会議をするマダムたちがいた。やかましくベルを鳴らしながら蛇行運転する自転車。自動ドアが開くたびに轟音を垂れ流すパチンコ屋。たこ焼きの匂い。さびれたハンコ屋。日焼けした雑誌が並ぶ本屋。そんなどこにでもある景色の中、いつもひときわ賑わいを見せている店がある。
商店街の老舗パン屋
「パンだパンだ」というパン屋さんだ。
店先のオレンジ色のファサードは古く、あちこちほつれている。どうにか店名が読める程度だった。創業80年という家族経営の老舗のパン屋だ。
ここの名物はパンダのチョコクリームパンだった。フワフワの生地の中にチョコクリームが入っていてパンダの顔になっている。この商品は店の売り上げTOP3に入っているようだった。
私はそのチョコクリームパンではなく、この店のサンドイッチのファンだった。フニャっとしたレタスとからしマヨネーズが、ハムとたまごの引き立て役になっていてとても美味しい。お腹の減った私は、とりあえずサンドイッチを買おうと入店した。
サンドイッチを手にレジへ行くと、ちょうどそこに「アルバイト募集」と貼り紙がしてあった。時給は900円。当時としては悪くない金額だった。パン屋ならば親に小言を言われることもないし、閉店時には売れ残りをもらえるかもしれない。学生にとってこれはかなり助かる。
レジには私を含め5、6人が並んでいた。その場でアルバイトの話はできそうにない。私はとりあえず電話番号を控え、サンドイッチの会計を済ませて店を出た。
家に帰ってサンドイッチをほおばりながら、「パンだパンだ」について考えた。通うのに便利な場所であるし、時給もいい。売れ残りをもらえる可能性もある。よし、バイトするならここだなと思い、電話をかけた。
面接
電話に出たのはちょっと無愛想な中年の男性だった。私がアルバイト募集の貼り紙を見て電話をしていると伝えると、少し態度が和らいで、
「学生さん? あぁ〜、○○大学の生徒さんか。なら履歴書はいらないから、面接にだけ来て。授業が終わったら学校帰りにおいで。何時でもいいから」
とざっくばらんに言われた。
翌日、授業終わりに店を訪れるとちょうど客足が引いて空いていた。
レジにいた女性は私の母親よりも少し年上といった雰囲気で、とても優しそうな雰囲気だった。面接に来たことを告げると、その女性は愛想よく、
「あぁ〜、お待ちしてましたよ。奥へどうぞ」
と、店の作業場へ通じるドアを開けてくれた。作業場には男性二人が作業をしていた。
レジの女性が「あんた!面接の大学生さん!」と声をかけると、年嵩の男性がこちらを向いた。
「やぁいらっしゃい、さ、ここに座って〜」と椅子を勧めてくれた。
働くにあたってはシフトに入れる日しか聞かれなかった。私の大学の先輩たちが何人もこのパン屋でアルバイトをしていたらしく、「信用があるから」と言っていた。あっけなく採用が決まり、私は週に3回、学校帰りに「パンだパンだ」で働くこととなった。
パン屋のアルバイトとお母さん
私はレジ係の担当だった。
レジの仕事はパンの名前と値段を覚えることから始まった。商品が少なくなってきたら作業場に「アンパンあと3つです」といったように報告する。パンの焼き上がりの時間も把握しなければならないし、もちろん接客もする。やることはたくさんあった。人気店のため客足も絶えなかった。目が回るほど忙しく、最初の一週間はあっという間に過ぎた。
このパン屋は家族経営で、作業場の男性がお父さんと息子、レジの女性がお母さんだった。店では客も含めた全員が「お父さん・お母さん」と呼んでいた。息子の名はタカヒロ。私は「タカヒロさん」と呼んでいた。
ある時客足が引いた時にお母さんに聞かれた。
「彼氏はいるの?」
いませんと答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
その日を境に、お母さんの私への態度が少し変わった。
タカヒロさんとの食事
バイトが終わるとお母さんに頻繁に夕飯に誘われるようになった。家族は店舗の二階に住んでいたから、店の奥の階段を上ればすぐそこがリビングだった。
一人暮らしの学生の身分では夕食は非常にありがたかった。自炊はしていたが、慣れない料理が美味しくできるはずもない。やっぱりおふくろの味、手慣れた主婦が作ってくれる料理はとても美味しかった。
ただ一つ、タカヒロさんが苦手だった。
お母さんは食卓に料理を並べると店へ降りていく。お父さんは明日の生地の仕込みをしているから、まだ上がってこない。食卓はだいたい、タカヒロさんと二人だった。
タカヒロさんは悪い人ではなかった。でも絵に描いたような冴えない男性だった。
背は私とほとんど変わらない。でも、横幅は私の倍以上もある。そのため作業着のボタンはいつ見てもはちきれそうになっていた。メガネの奥の目は小さく、頼りなくなってきた髪がフワフワとわたあめのように頭に乗っかっている。私と5歳ほどしか変わらないのに、10歳以上は上に見えた。
会話が盛り上がることもなく、ただ黙々と二人で夕食を食べる。
時折目が合うと、ニヤーっと微笑まれるのが不愉快で、私はできるだけ下を向いて食べていた。どうせなら一人で食べる方が美味しいのにと、私は思った。
時々、おじいちゃんが一緒のことがあった。お母さんの父親だ。お父さんは婿養子らしかった。
「タカヒロの嫁さん」
おじいちゃんは私のことを何度も「タカヒロの嫁さん」と呼んだ。
私は毎度「ちがいます、ただのアルバイトとしてお世話になっているだけです」と答えていた。だが、ある日お母さんに止められた。
「おじいちゃんね、ちょっと痴呆が始まってるのよ。タカヒロの嫁を見るまでは死ねん、っていうのが口癖なの。だから、申し訳ないんだけど、好きに呼ばせてやってくれないかしら?」
私は嫌ではあったが理由が理由なので、しぶしぶ了承した。
それがお母さんを調子づかせてしまった。
ことあるごとにおじいちゃんに、
「今日もタカヒロのお嫁さんと晩ご飯食べましょうね〜」
「タカヒロのお嫁さん、接客がうまくなってきたのよ〜。申し分ない人がお嫁さんに来てくれてありがたいわ〜」
と、私のことを話すようになった。
「タカヒロのお嫁さん」というフレーズが聞こえてくるたび、私は寒気がした。
なんでこの人は否定しようとしないのか。
このまま、あの老人が本気にしてしまったらどうするんだ。
母親にこんな風に夫婦扱いされるなんて、どう思っているのか。
当の本人のタカヒロさんは、何も言わずにいつものようにニヤーっと笑っているだけだ。その笑いが一層、私を嫌な気持ちにさせた。
しばらくすると、なんとタカヒロさん自ら私のことを「俺の嫁」と言い始めるようになった。
「おじいちゃん、今日は俺の嫁がお客さんから笑顔がいいって褒められたんだよ」
「おじいちゃん、俺の嫁にも醤油を渡してやってくれよ」
吐き気がした。なぜ好きでもない人の嫁を演じなければならないのか。
確かにおじいちゃんは哀れではあるが、別にいますぐあの世へ行ってしまうような気配でもない。本当のお嫁さんが見つかるのを待っていればいいのに、なぜ私が? と思った。
一旦そう考え始めると、あのときお母さんともっと話し合っていればよかったと、後悔の念が胸の中に渦巻いた。
もうこの2階で食事をいただくのはやめよう。限界だ。
そう思いながら、寂しいような悲しいような気持ちで、とぼとぼと店舗へ続く階段を下りた。
唯一の味方
階段の下にいたお父さんに帰宅する旨を伝えると、
「ちょっと買い物があるから一緒に出よう。暗いし、ついでにそこまで送るよ」と言われた。
外は木枯らしが吹いている。
お父さんはいつも食卓にはつかないので、私のことを「タカヒロの嫁」と呼ばない唯一の人だった。
お父さんと並んで歩くのはもちろん初めてだった。そもそもお父さんはいつも作業場にいるので、ほとんど話したこともなかった。
「仕事は慣れたかい?」など、当たり障りのない会話をする。
タカヒロさんと良く似た人と歩くのさえも嫌に思えてきて、私は歩みを早めた。早く家へ帰りたかった。もう何もかもが嫌だった。
しかしそんな私の気持ちを察したかのようにお父さんはこう切り出した。
「私に発言力がなくて申し訳ない。妻たちには君の気持ちを無視して嫁扱いなんてするんじゃないと散々言ってはいるんだが、何も効果がないんだ」
はっと私はお父さんの方を向いた。申し訳なさそうな顔をしていた。
「ご存知だったんですね」
「君がいない間もずっと、タカヒロの嫁と言い続けているからね。タカヒロに出会いがないものだから焦っているんだよ。だから既成事実ってわけじゃないけれど、嫁として扱ってなんとかして君とくっつけようとしているんだよ。でも君がタカヒロのことを好きじゃないのは見ててわかってる。タカヒロが一方的に好いてるだけなんだから」
私は知らなかった。タカヒロさんに好かれていたとは! 食事の時に会話がないのは、タカヒロさんの照れからきていたようだった。
全然嬉しくなかった。
人に好かれることは喜ばしいが、これは違う。一方的に想って、周囲の人間がそれを汲み取って強引に結婚に持ち込もうとしているだなんて、とんでもないことだ!
私は心底嫌な気持ちになった。
お父さんは続けた。
「君が嫌な気持ちになっていて、アルバイトも続けにくいのはわかっている。だけど最近店がかなり忙しいし、君にいてもらわないと正直困るんだ。これはとても失礼なお願いなんだが、聞いてほしい。これから私はどんな時でも君の味方になる。だから、どうか辞めずに続けてもらえないだろうか」
私はお父さんのこの言葉に驚いた。
あの一家の中に、「タカヒロの嫁」と言わない人物がいるなんて。あの一家の中に、まさか味方がいたなんてと思った。今考えるとそこまで追い詰められていた。
お父さんは決心したような目をしていた。
本人は、「私は婿養子で発言力がない」とは言うが、それでも味方になってくれる人がいるという事実が当時の私にはとても心強かった。お店の戦力として自分が必要だと思ってくれていることも素直に嬉しかった。
私はもう少しこのバイトを続けようと思った。
お父さんの努力
それからお父さんは影でひっそりと努力をした。
お父さんの発言はパンのこと以外は通らない。そのためお父さんは、お父さんなりのやり方で私のフォローをしてくれた。
私が2階で食事をいただく時は、お父さんはおじいちゃんを毎回作業場に呼んだ。おじいちゃんがいなければ、私を嫁呼ばわりする必要がないからだ。
時折階下の作業場から、お父さんとおじいちゃんの話す声が聞こえてきていた。おじいちゃんが「タカヒロの嫁は〜」と発言するとお父さんの「アルバイトの女の子ね!」とやんわり否定してくれる声が聞こえたこともある。
私としてもタカヒロさんに期待を持たせるのは失礼にあたると思い、できるだけ彼と二人になるのを避けるようにした。
何度も何度もお母さんに誘われるので一切なくすことはできなかったが、2階で食事をいただく回数もなるべく減らすようにした。お母さんの美味しい手料理を食べるチャンスが減ったのは正直残念だった。しかし、嫁になるつもりは毛頭ないのに厚かましいことはできない。
おじいちゃんのいない2階では、私はもう嫁扱いされなくなった。
ちゃんと名前で呼んでもらえ、アルバイトの学生として見てもらえるようになった。作業場の二人のやりとりをお母さんが聞いたからなのかもしれない。
お父さんの静かで力強い反対に、お母さんが根負けをしたのだろう。今思っても、お父さんのあのやり方は誰も傷付かず、誰も不愉快にさせない一番良い方法だったと思う。
お父さんは大人だった。
その後もタカヒロさんの視線を感じてはいたけれど、それ以上の何かはなかった。だから私が辞める理由も生じなかった。これだけ必死になんとかしようとしてくれたお父さんを思うと、私はこのバイトを辞めようとは思わなかった。
私は大学を卒業するまでこの「パンだパンだ」で働いた。
私はここで、大人のずるさと、大人の寛大さを見た気がする。
あの頃を思い出して
自分が大人になった今、あの時のことを振り返ると同じ女としてお母さんの気持ちがよくわかる。息子の結婚は心配だし、店の跡取りも欲しかっただろう。
年齢を重ねるとどうしても頭が固くなってくる。私を含めて、自分の物差しで物事を考えがちになる。それはある程度は仕方のないことだ。
しかし、そんな時には「パンだパンだ」で働いていたあの頃の自分を思い出す。
若者を周りから追い詰めていくような方法で自分の思いどおりに動かそうとするのは、決して良いやり方ではない。そんな方法ではきっと誰も幸せになれない。
自分の人生は自分で決めるように、若い人たちにはできるだけ自分の意思で考え、行動してもらうようにしなければいけないのだ。
今の私が本当にそうできているかどうか、今度、若い人たちに聞いてみようと思う。