「お前、どんだけ待たすねん。◯すぞ」
私が聞いた言葉はこれだった。
「お前、どんだけ待たすねん。◯すぞ」
私は特上の寿司が入った桶を持ちながら、ストライプのスーツを着た4人の男たちに囲まれていた。そこはヤクザの事務所だった。
大学生のとき寿司の配達のバイトをしていた。
なぜそのバイトにしたかというと、まずデリバリーなので時給が高かった。1200円くらいだったと思う。その当時の時給は今と違って平均がわりと低く、1000円以下の仕事もたくさんあった。
場所も一人暮らしのマンションから近かったのでよかった。歩いて15分もかからない。高校生の時からバイクは好きだったので、寿司を運んで帰ってくる仕事は性に合っていると思った。
面接に行ってみると店長にすぐ働いてくれと言われた。話しやすい気軽な人、という感じが一人目の店長の印象だった。
一人目の店長というからには店長は変わったのだとわかっていただけると思う。この店長は二週間であっけなくいなくなってしまった。
陽気なこの店長と話したことは今でも印象に残っている。一言で言うと彼は「適当」な人だった。それは私からの印象というよりか、彼自身が自分で言っていた言葉だった。
「こんなに適当に働いて金もらえるなんて天職だ」
彼は面接の当日に天下一品のラーメンをすすりながらそう言って笑った。そう、面接の当日に、じゃあ俺もう上がるから飯でも行くかと言ってラーメン屋に連れて行ってくれたのである。今まさに面接に来た大学生とそのまま飯に行くという店長はあまりいないだろう。
「彼女いるの?」
店に着くなりビールを二杯注文し、ぐっと飲み干してから彼はそう言った。そのあと、先日彼女との記念日にヘリコプターを貸し切って遊覧飛行をしたことを得意そうに話してくれた。15万もかかったんだ、ハハハと笑った。大人の人というのはこういうもんなのかなと当時大学生だった私は興味深く聞いていた。この時に飲んだ表面が少し凍ったビールの味を、今でも鮮明に覚えている。彼の話だけを聞いていると、寿司の配達チェーンの店長とはそんなにも楽チンな仕事なのかと思った。
まかないは寿司屋らしくちらし寿司だった。陽気な店長はなんでも好きなもん食えよと笑顔で言ってくれていたので、ブリやマグロなどの好きなネタをのせた大盛りのどんぶりにして、毎日楽しく過ごしていた。寿司が大好きな自分にとってはまさに天国だった。彼はとてもフランクだったから働いていても息がつまるということはなかった。
だが現実は厳しい。
ある日出勤すると、店長が変わっていた。陽気な店長の姿はもうそこになかった。代わりにおじさん店長が奥の椅子に座っていた。彼のことを聞いてみると、新しい店長は苦々しい顔で「あいつは飛んだわ」と言っていた。あまり気分のいい話でないことは彼の顔を見て察した。あの陽気な店長は口でああいう風に言いながら心の中では違ったことを考えていたのだろうか。
店長が変わると店の雰囲気は全く変わった。まずまかないはネギトロだけになった。まあ、当たり前のことなのだが。
新しい店長はあれやこれやと気にくわないことがあればよく怒る人だった。同じ店長でもこんなにも違うのだと私はとても不思議に思った。
寿司屋の配達
配達の業務はバイクを使う。ジャイロと言われるバイクで三輪のものだ。前には風よけが付いていて雨が降っている時でもいくらかましになっている。大きなカゴのようなものが後ろへ吊り下がっていてバランスを取るようになっている。そこに配達する寿司の桶を入れる。配達中に寿司が揺れて崩れないようになっているのだ。
バイクの配達はこのジャイロを使ってすいている道を選びどれだけ早く届けることができるかが重要となる。それにはよく道を知っていないといけない。自分が働いていた早稲田のお店のエリアは、池袋がある豊島区と神楽坂までの新宿区だった。早稲田通りや新目白通り、明治通りといったの幹線道路が走っている。その大きな道は絶対に使わずに小道に入って最短ルートをたどらなければならない。
早く届けられる人は空き時間を漫画を読むことに費やしていた。私が出会ったスーパーデリバリーマンは常に少年ジャンプを座席の下にいれていた。
「寿司は40分だから余裕。俺はいつもピザ屋でタイムアタックしてるから」
エリアの広さは違うがピザ屋は20分で届けなければならないそうだ。彼の見た目は大きな熊といった感じで、口調はやさしかった。ちょうど向かいのところにある有名ピザ店でもダブルワークをしているらしく、この近辺の地理には抜群に詳しかった。
早稲田の界隈は古い街なので小道がたくさんある。鶴巻町というところは昔ながらの街でいまだに銭湯も現役だ。高田馬場駅の奥に入ったところには『神田川』で有名な世界湯もある。配達場所は豊島区も入っていたので覚えなければいけない道は多かった。特に雑司が谷の方は入り組んだ路地の集まりで、よく道がわかっていなければすぐに迷ってしまう。だが熊さんは違った。幹線道路の渋滞を横目に路地に入りバイクですいすいと抜けていくのだった。ここらへんは目をつぶっていても走れると熊さんは豪語していた。
私がなぜ彼の運転を知っているかというと、寿司のデリバリーに限らず配達の仕事ははじめに先輩ドライバーと配達先を回るからだ。勝手もわからないまま配達されてもお店は困る。最初は先輩と、ということになっていた。さっさと配り終えた彼は漫画を読み始める。なんとなくそれが自分にはカッコよかった。
私と時間が合うと熊さんはいつも面白い道を教えてくれた。雑司ヶ谷霊園の脇道を通っていくとなにやら冷んやりするだとか、あそこのマンションには芸能人が住んでいるだとか、ワクワクするようなことをいつも言ってくれた。雑司が谷霊園のそばに配達に行くときは、確かに少し肌寒い気がした。
彼はピザ屋と兼務していたので会うことはあまりなかったが、私はこの人がとても好きだった。
そのときの寿司の配達は行く店が決まるとまず店舗の入り口貼ってある大きな白黒の地図を眺める。寿司ができるまでの時間、どの裏道が最短ルートなのか頭に叩き込むのだ。当時はグーグルマップもない時代なので迷ったら座席の下に入れてある地図とにらめっこして探さなければならない。こうなるととても時間がかかる。出発するまでにいかに頭の中でコースが描けるかが勝負どころだった。制限時間は10分ほどである。
新人には昼の桶の回収の仕事もあった。たまに桶に手紙が入っていて、美味しかったありがとうと書かれていることがあった。そんなときはちょっと鼻歌を歌いながら店に帰るのだった。
配達に慣れてくると新しい道を試すようになった。地図とにらめっこをしているときに思わぬ抜け道を発見することがある。そういうときはちょっとうれしい。いろんな道を試しているうちにいつしか近辺に詳しくなっていた。
つらかったことといえば雨である。やはり注文は雨の日に多い。普通の雨ならジャイロには風よけが付いているので大したことはないのだが、台風の日は厳しいものがあった。前が覆われていたとしても横殴りの風が雨粒をともなって私を襲うのだ。道路もいつもより混んでいるし配達先に着いた時には満身創痍で、お客さんにこんな日に申し訳ないと何度も謝られたこともあった。
突入!闇金ビル
そんなある日熊さんが血相を変えて戻ってきたことがあった。
「やばいやばい」
普段では見ない熊さんの焦った様子に自分は驚いた。どうも店長との話を聞く分にはヤクザへの出前に遅れてしまったらしい。もちろん熊さんが遅れることはないので、寿司の注文が立て込んでしまって作るのが遅れたのが原因だった。寿司自体は渡したが、あまりに遅かったのでワビを入れろと言われて帰ってきたところらしかった。同じ人が二度行くと監禁されてしまうこともある。おじさん店長も忙しいので店を離れるわけにもいかず、考えあぐねているところだった。
「自分行きます」
気づかぬうちに私はそう言っていた。実際人も足りないので私しか行く人はいなかったのだ。熊さんはホッとした様子で、「気いつけてな」と私の肩を叩いた。店長は奥から出てきて、私に札のようなものを一枚渡し、これを使えと言いながらニヤニヤしていた。
そこは高田馬場のコンビニの裏側のマンションだった。闇金ビルと言われる建物で、入居している表札には全て何も書いていない。古くてドアが緑色だったのを覚えている。後から聞いたことだがマンションなどに一戸でもそういう人が入ると、一般の人が出て行ってしまうので最後にはそっち系の人ばかりが住むマンションが出来上がるということだった。
ベルを鳴らす。ドアが開いた。
「おう、入れや」
スーツを着た30代くらいの男が私をジロジロと見ながらそう言った。
失礼しますと言いながら私は部屋に入った。事務所をパーテーションで区切ったような割とよくあるオフィスだった。奥の棚に大きな王将の駒が乗っている以外は。
男がドアを閉める。同時に鍵を閉める音がした。私は唾を飲み込んだ。
「お前、さっきの兄ちゃんちゃうな」
私は至って平静をよそおって持ってきた寿司を別の男に渡した。そのときには四人ほどに囲まれる形になっていた。
「どうなっとるかわかっとんのか。どんだけ遅れとんねん」
先ほどのドアの男はじっと私の目を睨みながらそう言った。私はとりあえず謝るしかないと思い、ペコペコと頭を下げていた。そうしてしばらくして店長が持たせてくれたアレがあると気づき、ポケットから一枚の札を取り出した。
その札というのはその配達チェーン全店で使える500円分のチケットだった。普段は金庫に入れられているとても価値のあるお札である。私は目をつぶりながらその札を男に差し出した。
「こんなもんでどうにかなるかぁっ!」
男は荒れ狂ったが私にはもうなすすべはなかった。渡せるものは渡してしまったのだ。それ以外に私に価値あるものはなかった。
怒り狂った男をなだめるように別の男が「こいつにこれ以上言うてもしゃあないやろ」と肩を抑え、私にもう帰って良いと手で払うようにした。私はなぜかありがとうございます、ありがとうございますと何度もお辞儀をしながら、その悪夢のようなマンションから出て行った。
店に帰ると店長がキョトンとした顔をして、
「よく無事だったな」
無事じゃなかったらどうするつもりだったのかと私は心の中で悪態をつきながら、また別の家へ配達に出かけて行った。
今振り返ってみると
そのバイトは一、二年続けた。おかげで街に詳しくなった。台風が吹き荒れている中に神楽坂の億ションに配達に行って、プードルを抱っこした婦人に会っていつかはこんなところに住みたいなと思ったり、寒い冬に凍結した道路で三輪あるにも関わらず盛大にすべって転んで寿司を撒き散らしたり、池袋のマンションでガタイのいいあんちゃんに引越し祝いだから釣りはやるよと千円をほど余分にもらったりと、色々な楽しい経験をした。
いろんな場所のいろんなマンションに配達をして、個性豊かな人々に出会った。若い夫婦もいれば一人暮らしの老人もいた。寿司で盛大にお祝いをしている会社や毎週決まった曜日に決まった注文をする人もいた。短い期間ではあったがバイクを使って駆け巡り、街の奥深くまで行き交いするのは楽しかった。
自分が今も街を散策したり調べたりするのが好きなのもこの時のデリバリー経験と無関係ではないのかなと考えたりもする。働いていたのはもう10年以上前のことだが、毎日知らない誰かと出会い、その人の個人スペースである自宅に配達に行くという経験はなかなかできないことだと思う。寿司屋のデリバリーは寿司が好きで、ちょっと時給が高い仕事を探していて、ときどきヤクザの事務所に行くことがあっても特に気にしない人にとてもおすすめである。
最後に働いていた界隈のおいしいものを紹介しておきたいと思う。
早稲田界隈のグルメ
「キッチンオトボケ」
「キッチンオトボケ」は早稲田通りに面した定食屋だ。主に揚げものが主力商品である。界隈にいる人ならこの店のメンチカツを食べたことがないと言えばモグリだと思われるくらい有名なお店だ。一つ注意しておきたいことがあるとすれば、行く日によってメンチカツの色が違うことだ。焦げ茶色の日もあればきれいなきつね色の日もある。揚げ時間の差ではない。油の鮮度の差である。黒っぽい時は油交換の直前できつね色のときは交換して間もないということだ。色は出てきてからのお楽しみ、黄金メンチが出て来たときの幸福感はハンパない。ジャンジャン焼きという生姜焼きも人気商品だ。注文すると東南アジア出身のお兄ちゃんが「ジャンジャーン」と言いながら持ってきてくれる。彼はビザの関係だろうかときどき姿を消す。どうも本国へ帰っているらしい。
ちなみに通りをはさんで向かい側の半地下にある「ごんべえ」といううどん屋さんの経営者は、オトボケの主人のいとこだそうだ。ときどき揚げたてのカツを持って早稲田通りの交差点を渡る主人を見かけることがある。おだやかな猫がいたのだが今はどうしているだろうか。
「えぞ菊」
バイトが終わってからまかないが足りないときに行くラーメン屋だった。もやしが大量に乗った味噌ラーメンはまさに学生仕様だ。ヤングラーメンという全部のせはヤングでもなかなかキツイ。先輩に連れられて食えるかどうか試されたことがある。深夜までやっているので飲み会のあとに立ち寄ることもよくあった。日本よりもハワイの方が店舗数が多い謎のお店。
「メーヤウ」
ここは伝説のカレー屋さん「メーヤウ」の跡地である。今は休業中なのだがこのカレー屋さんにはとてもお世話になった。グリーンカレーというココナッツとスパイスの効いたカレーが好きになったのはこの店のおかげだ。卓上にある青唐辛子たっぷりのナンプラーをかけると、それはもう絶品だった。だが元から辛いカレーがさらに辛くなるので食べた次の日は割としんどかった。また食べたいなと思っていたところ休業してしまった。復活が待たれる店舗だ。
【2020/9/14追記】
と思っていたら、メーヤウが復活したらしい。復活エピソードも面白かった。ちょうど店舗があった頃の写真も出てくる。今度行ってみよう。
【奇跡か】伝説のカレー屋「メーヤウ」復活は1本の間違い電話から始まった