あれ?千手観音かな?
これが米澤を初めて間近で見た時に感じた正直な感想である。
ソースが塗ってあるだけの状態のピザ生地に満遍なくチーズを振りかける。
作業自体は至極簡単なものである。しかし問題はそのスピードだ。
事の発端は私が20代前半の時、高校卒業後勤めていた仕事を辞めて「次の仕事どうするかなー?」なんて考えながら束の間のニート生活を楽しんでいた時のことだった。
ニートとはいえ家の家賃は払わないといけないし、腹も減る。そして貯金の残高は心もとない。次の仕事のあてがあるわけでもなかった私は、バイトでもして食つなぐかと求人情報誌をパラパラとめくっていた。
そんな時に目に飛び込んできたのが、とある食品工場の短期の求人だった。他の求人よりも明らかに高時給、更に昼食付きと待遇の良い条件に私はすぐさま飛びつき電話をかけた。
電話に出たのは受付らしき若い女性。求人を見て連絡した旨を伝えると「少々お待ちください」と言った後、保留音に変わった。
この保留時間が異様に長かったことを今でも鮮明に覚えている。正確に時間を計ったわけではないが10分以上は待っていたと思う。
これは後々になって納得がいくのだが、あの工場に受付以外ですぐに手を離し電話に出られる者など皆無だった。それほどに人手が足りていなかったのである。
長い保留音がいきなり切れたかと思うと、いきなり陰気な男の声が耳に飛び込んできた。男は佐藤という、後に私の上長になる男だ。
「求人見たってことだけど、いつなら来られる?」
佐藤は電話に出るなりこう言った。まだ履歴書も何も準備できてなかったが、そんなものすぐに準備できるだろうと思い、
「いつでもいけます!」
そう私は元気よく答えた。絶賛ニート生活を満喫中だった私に予定など皆無だったのだ。それに少しでも印象を良くして高時給バイトを勝ち取りたいという目論見もあった。
「じゃあ、今から来てもらえる?30分後くらいに」
まさかだった。確かにいつでもいけるとは言ったが、まさか30分後に来てくれと言われるとは思ってなかった。幸い家からその工場までは車で15分。10分で準備して家を出たらなんとか間に合う。
「承知致しました。それでは30分後に伺います」
私は尚も元気よく返事をして、相手が電話を切るのを待った。それから履歴書を準備していないことを思い出し、慌てて準備をして工場へと車を走らせたのだった。
死んだ魚の目の佐藤
私は当時めったに着ることのなかったスーツに袖を通し、工場の受付に出向いた。私が行く話は通っていたようですぐに奥の応接室のようなところに通された。
そこでも30分以上待たされようやく佐藤が現れる。佐藤は電話での印象そのままの陰気な男だった。背は高いが異様にやせ細っており、何より目に覇気がない。死んだ魚のような目というのはこういう目のことをいうのかと思ったのを覚えている。
佐藤は私が提出した履歴書を一瞥し、
「で、いつから働ける?」
そう私に聞いてきた。ここで私はまた面喰ってしまう。一応前職で何をしていたか、この仕事志望理由などを考えてきていたのだが、そういうのは一切聞かれることなく、いきなりいつから働けるかを聞かれたからだ。
「あ、明日とか……ですかね?」
面喰ってしまっていた私は素っ頓狂な声でそう答えた。するとそれまで陰気臭い顔をしていた佐藤がニヤリと笑い、
「じゃあ明日8時にまたここに来てくれ。服装は自由でいいよ」
そう言うとまた忙しそうに部屋を出ていった。ここにきて私はようやく、とんでもないところに来てしまったのではないかと思い始めていた。
千手観音の米澤
次の日の朝、私はまた同じ応接室に来ていた。8時とは言われたが少し早めに7時半には着いていた。
3交代の職場だったため、ちょうど出勤してくる人達と退勤していく人達の波を見ることができたのだが、みな一様に死んだ目をしてとぼとぼ歩いて行くのが印象的だった。その時私はこれから自分もその波に加わることになるとも知らずに、いつか映画でみた強制労働をさせられる奴隷達みたいだな。なんてのんきなことを考えていた。
8時少し前に佐藤が色々な書類を持って応接室に現れる。契約書や誓約書、給振口座の申請書などだ。その全ての記入を終えると佐藤は衛生服のセットを私に渡し、付いてくるよう言ってきた。
着替えと消毒を終え、初めて入ったラインの光景は生涯忘れることはないだろう。
私が配属されたのは冷凍食品のピザを製造するラインだった。少し広めの部屋をぐるりと半周するようにラインが伸びている。ラインの最初は何も乗っていないただのピザ生地が流れてくるのだが、ラインの最後の方ではほぼ完成されたピザが奥のオーブンへと吸い込まれていく。その途中でソースを塗る、チーズを振る、具を乗せる、最終チェックをするという工程を人が行っているのだ。
まるで部屋そのものが大きな機械に見えた。黙々と作業をこなす人々は機械の部品に見えた。
私は佐藤の指示でチーズを振る部品に任命された。そこには米澤というかっぷくの良いおばさんがおり、佐藤は米澤と少し話してその場を去った。どうやら私は彼女に指導されることになったようだ。
「今日から入りました。よろしくお願いします。」
私は黙々とピザ生地にチーズを振り続ける大きな背中に声をかける。彼女はこちらを振り返ることなくチーズを振りながら言った。
「よろしくね。今は手が離せないからとりあえず隣で見てて」
どうやら悪い人ではなさそうなので私はほっと胸をなで下ろしたが、彼女の隣に立ち、その作業風景を見た瞬間、驚きを隠しきれなかった。
あれ?千手観音かな?
これが米澤を初めて間近で見た時に感じた正直な感想である。ソースが塗ってあるだけの状態のピザ生地に満遍なくチーズを振りかける。作業自体は至極簡単なものである。しかし問題はそのスピードだ。
ピザは2列でラインに流れてくる。そしてピザは2秒もかからず自分の目の前を流れ去っていく。つまり2秒の間に2枚のピザ生地にまんべんなくチーズを振りかけなければならないのだ。
そしてその作業は延々と続く、止まることは許されない。その結果、ここに48歳主婦の千手観音が誕生したのである。
千手観音の話しによると、本来チーズ振りの工程は2人で担当する工程らしいのだが、人手不足のため、今は彼女一人で担当していたらしい。そして恐るべきことに彼女は後1週間でここを辞めるため、それからは私1人でチーズ振りを担当することになるらしい。
そんな「次の千手観音は君だ!」みたいなことを言われても、私に腕は2本しかない。
しかし、私もまだ若かったので「なってやろうじゃないか、千手観音とやらに」と変なチャレンジ精神を持ってしまった。今思えばそれが地獄の始まりだったのかもしれない。
それから米澤の隣で1列を担当させてもらい見よう見まねでチーズを振っていたらあっという間に1日が終わっていた。米澤曰く私にはチーズ振りの才能があるらしく、1日でここまでできるようになるのは珍しいとのこと。そんな変な才能よりもっとちゃんとした才能が欲しかった。
地獄の門が開く
それから1週間、私は米澤とペアを組み、めきめきとチーズ振りの練度を上げていった。元々1人で2列を担当できた米澤と、これから2列を担当すべく鍛錬を積む私、この最強ペアに怖いものはなかった。
最終的にはチーズを振りながら米澤と世間話ができるほどになっていた。おばちゃんと楽しくおしゃべりしながら簡単な作業をこなすだけで高時給。おいしい仕事見つけたな。と思っていましたが、そんなのは束の間。ついに米澤が辞めて、私1人でチーズ振りを担当するようになった。
その日、私の地獄の門はガラガラと音を立てて開いたのである。
時を同じくして、夜勤チームのチーズ振りを担当していたおじいさんが突然辞めたらしく、佐藤から「日勤が終わったら、休憩を挟んでそのまま夜勤チームに入ってくれないか」と、とんでもない相談を受けたのが始まりだった。
この時、チーズ振りの仕事にも慣れてきて、正直チーズ振りを舐めていた私は、単純に給料が倍以上になることに目がくらみ二つ返事でOKを出していた。そして意気揚々と自分の持ち場についたのだが、いざ仕事が始まってみると目の回るような忙しさが待っていた。
考えてみれば簡単なことだが、2人でやっていた作業を1人でやるのだから、その作業量は単純に倍。ましてや私とペアを組んでいたのは、あの千手観音である。おそらく私のフォローもそつなくこなしてくれていたのであろう。
実際に私の体感で作業量は3倍くらいに膨れ上がった感じがあった。何とか不良品を出さずにラインの流れに追いつくのがやっとで、喋ることはおろかひと息さえ吐く余裕はなかった。
とにかく常にピザの波に追われ続け、ひたすらにチーズを振り続けるという地獄なような時間だった。永遠に続くのではないかと思われたその時間も、終業のベルと共に終わりを迎えた。
やっと止まったピザのラインを呆然と眺めながら、私は米澤の偉大さを噛みしめていた。しかしそこで、背後に立っていた佐藤が私の肩をポンと叩き言ったのである。
「じゃあ夜からもよろしく頼むね」
悪魔の囁きとはこの事かと思った。今からまた8時間、あの地獄のような時間を……。胸の鼓動が高まっていくのを感じる。下手したらこれは、死ぬかもしれない。
周りを見ると終業で帰っていくパートやバイト達がほとんどだが、数人そのまま残っている人達がいることに気付いた。私と同じく日勤を終え、そのまま夜勤に突入する猛者たちだ。
実は佐藤も、その猛者の中の1人だった。そして印象的だったのが、皆一様に目が死んでいるということだった。
チーズを振る機械
初めて日勤と夜勤をぶっ通しでこなした日のことを私はよく覚えていない。ただ帰りの車に乗り込んだ時に時計が深夜3時を表示していたシーンだけを鮮明に覚えている。
8時に出勤して、帰りは深夜3時。そして明日はまた8時に出勤しないといけない。帰って急いでご飯を食べて、お風呂に入ってすぐ寝たとしても、全然睡眠時間が足りない。こんな生活を続けなければならないのか。
絶望だったと思う。しかし、どこか諦めにも似た思いもあった。せっかくだからとことんやってみようと、その時思ったのである。思ってしまったのである。
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も、私は8時に出勤して延々とチーズを振り続け、そして深夜3時に帰るという生活を続けていた。帰るや否や布団に倒れ込み、そして体感では倒れ込んだ瞬間に、すぐアラームが鳴って目覚める。目覚めたらシャワーを浴びて用意をして、また会社へと向かうのだ。
仕事中は極力心を無にしていた。ただただ自分はチーズを振る機械なのだと思い込み、ただひたすらにチーズを振り続けた。
立ち仕事なので足が痛む。特に足の裏の痛みがひどかった。しかしこの痛みに少しでも屈してしまえば、もう心が折れて立ち上がれなくなるような気がしてひたすら我慢していた。
仕事中も仕事が終わってからも、ただただ機械的に過ごしていくうちに、私の心の感度はどんどん薄れていっていた。今思えばあり得ないくらいの激務なのに、キツいと感じる心さえ何処かにいったようだった。
心がポキリと折れる音がした
気付けばあっという間に仕事をはじめて3ヶ月という期間が経っていた。なぜか私も新製品の試作チームに組み込まれたことで、休日は試作のラインに入ることが多かったため、この3ヶ月間で1日まるまる休めた日はわずか3日しかなかった。
あの時見た猛者たちのように、私の目も全く輝きがなく死んでいたんだろうなと思う。ただ自分の精神が蝕まれているという自覚すらできないくらい、心の感度を鈍らせていた。そうしないと、あの激務を乗り越えることはできなかっただろう。
ある日、いつものように深夜家に帰り布団に倒れ込む。いつもなら次の瞬間には目覚めて、また出勤しないといけないのだが、その日は珍しく夢を見た。
夢の中でも私はラインに入っていた。そしてチーズを振っているのだ。しかしおかしなことに振ったはずのチーズがどんどん空中で消えていく。
その間にもラインはどんどん流れるので私は焦って次のチーズを振ろうとするのだが、全てが空中でサラサラと消えていくのだ。
ラインはどんどん流れ、チーズの振られていない不良品がどんどん先へと流れていく。私は泣きそうになりながらも、次から次へとチーズを掴みピザに振ろうとする。
そこで目が覚めた。心臓がバクバクいっている。時計を見ると朝の5時を少し回ったところだった。
「うわぁぁぁぁぁああああああ」
私は頭を掻きむしりながら、くぐもった悲鳴とも言えない悲鳴をあげる。心がポキリと折れる音がした。
そして次の日、私は佐藤にもう仕事を続けられないことを伝え、その職場を辞めることになったのだ。
今思えば、あの夢は私の心が発した最終警告だったのではないかと思う。もしあのままあの環境で仕事を続けていたら、私はどうなっていたのだろう。今、考えても怖ろしい。
あの頃を振り返って
あの工場での3ヶ月間は地獄のような日々だったが、悪いことばかりではなかった。
まず貯金が出来たことだ。仕事中は通帳記帳に行く暇などなかったので気付かなかったのだが、3ヶ月で物凄いお金が貯まっていた。
毎日のように16時間働いて、稼いだお金を使う暇も一切なかったので当たり前といえば当たり前なのだが、これは単純にうれしかった。
そして、その後の人生において多少辛いことであれば容易に乗り切れるようになったのも良かったといえば良かったことだろう。
あの3ヶ月より辛い日々はそうそうない。どんな困難が立ちはだかろうとも「あの時に比べたら楽勝」の精神で乗り切ることができる。
このように良いことも多少あったバイトだったのだが、職に困っている時にもう一度あの求人を見つけたとしたら、私はその求人情報誌を破り捨てるだろう。