この言葉を聞いて以来、私は絵里さんを目指すことをやめた。

タイプがまるで違うのに、彼女を目指すのは無理な話だとようやく気がついた。

昭和の香り漂う寿司屋

寿司屋の写真

私はアルバイトを探していた。今まで接客業についていたので飲食店がいいかなと漠然と考えていた。自宅から近かったらなおよしと思った。

求人情報誌の細かい文字を眺めすぎて少し目が疲れたので散歩することにした。いつも通っている駅前への道。見慣れた寿司屋にはり紙が貼ってあった。求人だ。どんなバイトをしようかなと考えたままの頭で外に出たので、いつもは目に付かない求人はり紙に目が止まったのかもしれない。

「夕方5時~ 簡単な調理・接客。時給1,500円。まかないあり」

時給の高さと寿司屋のまかないに惹かれて迷わず応募した。

その店は、もう地元に何十年もある寿司屋だった。しょっちゅう前を通っていたのにまるで存在を感じさせないほど地域の風景に溶け込んだ、木造2階建ての古い建物だ。

中へ入ると店内は昭和の香りが漂う雰囲気で、カウンター席が10席、4人掛けのお座敷席が4席ほどのとても狭い店だった。

絵里ちゃん辞めないで

退職の花束の写真

「お願い、絵里ちゃん辞めないで〜」
「絵里ちゃんがいるからお店に来てたのに!こんな素敵な女性は他にいないよ!」

地元の寿司屋で働くことになった初日、ほろ酔いのお客さんたちは、口々にそう言って別れを惜しんでいた。

常連さんが絵里ちゃんと呼ぶのは今まで働いていた女性アルバイトのことだ。一緒に働いたのはわずか一日だったが、彼女の底抜けな明るさや、複数のことを同時にこなす仕事ぶりに圧倒された。

初日にして、絵里さんの代わりは勤められないと感じた。このレベルを求められるのは正直つらい。思いを自分の中に秘めておく傾向のある私は、接客経験者と言えどもお酒の席での親しい感じの接客は向かない。絵里さんは理想的だった。彼女との共通点は若いことと女であることだけだ。私はすっかり自信を失った。

「アルバイト募集のチラシを貼っても、なかなか応募がないもんだ」

寿司屋の大将が、常連さんに語っている。私は客席から見えない裏のキッチンで、絵里さんにヒレ酒のヒレのあぶり方を教わりながら大将の話を聞いていた。

「時給1,500円にしたらやっと1人だけ応募してきたよ」
気まずい。なんだか自分が高給に惹かれてやってきた女と言われているようだった。でも本当にそうなのだから仕方がない。時給とまかないという金と食に引き寄せられたのが私だ。

「でも絵里ちゃん以上の子はいないから、大将もあまり期待しない方がいいよ。あんなに中身の美しい子はいないよ」
常連さんが絵里さんを褒めるたびに私の手に力が入る。せっかくあぶったヒレを危うく落としそうになった。

大将には弟子が2人いた。いつも大将と一緒に寿司を握っている岩田さんは、いつかこの店を継ぐのが夢だと語っていた。もう一人、出前を担当している田中さんがいた。配達がない時は私の仕事を手伝ってくれた。彼はもうしばらくしたら寿司を握らせてもらえるのだと嬉しそうに語ってくれた。将来の夢に向かって修行の覚悟を持った姿勢には、ずいぶんと尊敬の念を抱いた。

手が何本あっても足りない仕事

黒電話の写真

私の仕事は接客の他にもたくさんあった。出前の電話を受けること、美味しい味噌汁やアナゴの白焼きを作ること、常連さんの好みを覚えてお酒を作ること、閉店までに全員のまかないを作ることなど。

期待した寿司屋のまかないは、自分が作るのだと知ってがっかりした。

電話をとる仕事もあった。たくさんの調理をこなしながら接客をし、頻繁にかかってくる出前の電話に対応しなければならない。どれもおろそかにできなかった。しかも絵里さんという届かない人の影が私の頭の中で見え隠れした。

泣きながら食べるちらし寿司

私は出前の電話を取るのが苦手だった。

常連のお客さんは注文を詳しく言わない。

「3丁目の田中だけど、ちらし3つと特上2つ。あと、いつものあれもよろしく!」

3丁目というのはこの町の3丁目でいいのか?それとも隣町の3丁目?何より、いつものあれとは何なのか?

しかもお客さんに聞き返すと、怒られたりすることもある。

「なんだよ、いつもの絵里ちゃんはいないの?大将に言えば分かるから!」
と、ぶっきらぼうに言ってガチャッと電話を切られたりした。

寿司屋で働き始めて、だからいつものあれって何なのよと思わない日は一日もなかった。

電話が鳴るといつも私の体は緊張で固くなった。

ある日常連さんからの電話が立て続けに3件あった。

電話を置いてすぐに内容を大将に伝えた。電話の前に、カウンターのお客さんからそれぞれお酒を頼まれていたことを思い出す。ちらちらと視線を感じるので、きっとお酒遅いな、と思っているのだろう。急いで作っていると、「あ、おねえさん、やっぱり俺ビールにするわ」と言う声が聞こえた。どのお酒を注文した人がビールに変更したのかが分からず、もう一度聞きに行った。無事に変更をうけたまわり、急ピッチで作っていると、ビールに変更したお客さんが大将と話す声が聞こえた。

「大将、なんで絵里ちゃん手放しちゃったのよ?あんなにできる子はいないんだからさ、なんとか引き止めてくれないと」

私の手が止まった。遠回しに「気の利かない新人」と言われているように感じたのだ。いや、遠回しでもないか。本当に気の利かない新人だったのだから。でもやはり、本当のことでもそう言われると結構傷つく。

前任者のスキルが高く、同僚もお客さんもその人のサービスに満足していた場合、その後を引き継ぐのはいつも大変だったと過去の仕事を思い出した。

私は恥ずかしさと惨めさで縮こまりながらビールを出した。そして一息着く間もなくまた電話が鳴る。

「あ、佐藤です。今日何かいい貝入ってる?もしあったらそれお願い。あとさ、今日は4人だからいつものあれ4つね」

私の頭はショートした。まずどちらの佐藤さんなのか?

「いい貝」がもし入荷していたとして、それは何人前なのか?
何より「いつものあれ」とは何なのか?

「すみません、新人なもので……。いつものというのは、ちらしでよろしいでしょうか?」

常連のお客さんの言う「いつもの」は、たいていちらし寿司か握り寿司のどちらかだった。でも握りの場合は上や特上と言うことが多いので、この佐藤さんの場合はちらし寿司かな?と予測したのだった。

佐藤さんは「はい、じゃあよろしく」と言って、さっさと電話を切ってしまった。

佐藤さんの家に配達に行った田中さんがしばらくして帰ってきた。持って行ったはずのちらし寿司を4つそのまま手に持っている。私は頭を抱えた。ああ、ついにやってしまったかと思った。先ほどのお客さんの言葉に傷ついていたのもあり、体に力が入らずバックヤードの椅子に座り込んでしまった。

大将やそのお弟子さんたちはとても優しくてそんな失敗をしても怒ったりはしなかった。

「今日のまかないは作らなくていいよ」と言われ、私が間違えて作らせたちらし寿司をみんなで食べた。申し訳なさと惨めさで少し涙が出た。このちらし寿司こそ、あの日アルバイト募集のチラシを見て、いやしくも私が望んだ寿司屋のまかないであるはずなのに。とても美味しい高級なネタを使っているはずなのに、まったく味を感じなかった。

「そのうち慣れるよ」
岩田さんが言った。
「そうだよ、絵里ちゃんが特別できる人だっただけだよ。あの人ほんとすごかったもん。だから気にしないで」
田中さんも言った。
優しい言葉が逆に心に痛かった。

最初の一ヶ月はいつ辞めようかとばかり考えていた。

カーテンに影が映っている写真

自分でつくったコンプレックス

「大将、この味噌汁美味しいね」
そんなある日カウンターの席のお客さんが、大将にそう言った。私は自分が作った味噌汁を褒められたことに嬉しくなり、裏でお酒を作りながら聞き耳を立てていた。
「うん、あの子新人なんだけど、味のセンスはなかなかいいんだよ」

一緒にお酒を作っていた田中さんが、
「やったじゃん、大将が褒めるなんて滅多にないよ。僕もそう思う。あんた料理うまいよな」
からかうような目で言った。

私はとても嬉しかったが、同時にとても意外だった。そんな風に思われていたなんて思いもしなかったからだ。

そのとき私は気づいたのである。絵里さんと自分を一番比べているのは自分自身であると。自分が意識しすぎているせいで、誰かが絵里さんの話をすると、勝手に比べられていると思い込んでいたのかもしれない。勝手に絵里さんを目指し、勝手に落ち込んでいたようだ。

この言葉を聞いて以来、私は絵里さんを目指すことをやめた。タイプがまるで違うのに、彼女を目指すのは無理な話だとようやく気がついた。そして不思議なことに、私がそんなコンプレックスを捨てると、お客さんとも楽しく会話ができるようになった。

私なりの、不器用なやり方ではあったが笑顔で働けるようになった。

「なんだか仕事に余裕が出てきたようだね」

大将からそう言われた時は、認めてもらえたようでとても嬉しかった。

オレンジの野の花の写真

暴力団と地元の寿司屋

「おやじさんのところに特上20人前、時間厳守な!」
ある日出勤すると、大将が岩田さんと田中さんの肩を叩いていた。
寿司20人前、これから作って配達するのだった。

このおやじさんと呼ばれているお客さんへの配達は、定期的にあった。この日のように大量注文もあったが、2人前だけの日もあった。大将も弟子もおやじさんへの配達はいつも以上に気合いを入れて作っているように感じた。

年も暮れ始めた12月のある日、勤務が終わり帰宅しようとすると大将に呼び止められた。
「元旦のシフトなんだけど、特別なお客さんの貸し切りで30人予約が入っているんだ。手伝ってくれる?」
30人?この店に入りきらない数だ。

「2階の座敷でやるんだ。刺身と握りはこっちで作るから、なにか温かい料理を作ってほしい。あとお酒も」

ずいぶんと簡単におっしゃるが、30人分のおかずとお酒を作るということだ。それも元旦に。私は迷った。やりたくないのではなく、30人ものお客さんの相手をする自信がなかったのだ。でも大将の次の一言で私は首を縦にふってしまった。
「ボーナスたくさん出すから」

1月1日、その日がやってきた。

黒塗りの車が何台も店の前に止まり、上下黒スーツを着たこわもての男性がバタバタと入店してきた。学校の一クラスくらいの人数のどう見てもそのスジの方々が店内の通路にビシッと整列した。思わず息を飲む。

「おい!おやじさんが到着されたぞ!!」
先頭に立っていた人がドスの利いた声で怒鳴る。

真っ黒のセダンから降りてきた年配の男性にただならぬ雰囲気を感じた。若手2人をSPのように従えて仰々しく降りてきたその男性は、店の通路に整列した黒スーツの若い男達の前をまるでレッドカーペットを歩くようにゆっくりと歩いて入店した。間髪入れずに総勢30名近い若い衆が大声で挨拶をする。あまりの迫力に私は思わずのけぞってしまった。

その組の長と思われる男性は一目見て一般人ではないとわかる和服を着ていた。

今まで気になっていたおやじさんからの大量注文も、大将たちが手厚い対応をしていた理由も、すべてここでつながった。

ピリピリとした緊張感漂う店内。私は後悔した。お金につられてやらなければよかったと思った。
「普通にしろよ、みっともない。同じ人間だよ」
横に立っていた岩田さんが諭すように言った。

私の笑顔はきっとわざとらしくひきつってはいただろうと思うが、なんとか接客をこなすことはできた。
「大将、この子新人?絵里ちゃんはいないの?」
若い衆の中でも年長の男性が、私を指差して聞いた。
「おやじさんには世話になってるから、絵里も挨拶したがってたんですけどね。就職しちゃったんですわ」
絵里さんのような20代前半の娘が、組の一番偉い方に挨拶したがっていた?そんな世界なのか、ここは!いつもは大きな存在の大将がとても小さく見えるほどに、彼らの存在感はすさまじかった。
多くの飲食店には暴力団お断りの文言が貼ってあるが、そういえばこの店にはそのような貼り紙がないことに今更ながら気づいた。

しばらくすると突然若い衆の何人かが言い争いになった。和やかな空気から一転、物々しい雰囲気になる。そこでおやじさんが一喝する。一瞬で場が凍り付き、水を打ったように静かになる。私にとっては生きた心地がしない時間だった。
なんとか料理やお酒を提供し、飛び出さんばかりの心臓を抑えながらできる限り丁寧に質問に答え、引きつった笑顔を振りまいた。私にできることはそれだけだった。

食事が終わるころ、おやじさんが挨拶をした。

「今年も世話になる、恩義は忘れない」という内容だった。

その日もらったボーナスは、正月手当てにしては法外な金額だった。

確かにあの恐怖には見合った金額だった。でもいくら時給が高くても、そのスジの方々を接客してボーナスをたくさんもらえても、そこで働く限り続くであろう暴力団との関係は、私には大きな負担だった。

その1ヶ月後、私は、地元に密着したその寿司屋を辞めた。

20年近く前の話ではあるが、今でもその寿司屋は同じ場所にあり、元気に営業している。辞めてからは一度も行っていないが、もしかしたらあの時の弟子の一人が後を継いで、カウンターの中心で寿司を握っているのかもしれない。

今思い返すと、このアルバイトで培った空気を読みながらマルチに物事をこなす力は特に子育てに役立った。そのスジの方に囲まれながらも仕事をこなす経験ができてよかったと感じることは、公私ともに今でもたくさんある。

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