大学の学費を稼ぐためのナイトワーク。お金のためだしこんなものだろうとお店を転々としていた頃、クラブ「M」のママに出会った。あの時の自分に言ってあげたい言葉と共につづる、ナイトクラブバイトの体験記。
私がナイトワークをやっていたのは大学時代。
厳しい世界であるし、なかなか勝気な女性は多いし、そんな理由でなかなかナイトワークのお仕事は続きませんでした。
でも、そんな私が唯一、大学卒業時までの2年間お世話になり、社会人になり辞めた今でも遊びに行くくらい、大好きなナイトクラブ「M(仮)」があったんです。
そこには、びっくりするくらい美しくて、いつでも素直で、何より女の子を大切にしてくれるママがいました。
だから楽しかったし、2年間も働けた。私にとってはこれが最長のナイトワーク勤務でした。
だけど、やはり厳しい世界。
きらびやかな世界だし、もちろん報酬は一般的なアルバイトよりもいいし、でもその分苦しいことも多かったです。
きっかけは金欠
ナイトワークを目指す方の多くはこの理由じゃないでしょうか。
「金欠」
私の中での大きな理由もそれでした。
大学在学中に留学をして、帰国したあと、本当にお金がなかったんです。
大学を休学して留学をしていたので、奨学金も止められていて。
実家を離れて大学に通っていた私は、復学してからの学費と生活費をなんとか工面しなきゃならなかったんです。
通える範囲にあるナイトワークのお店の求人に片っ端から応募しました。
その日その日の生活もままならなかったので、それこそ体験入店しては日給を頂き、生活費に充てる毎日でした。
お金のためだしこんなものだろうとお店を転々としていました。
そんな中、ナイトクラブ「M」に出会ったのです。
ママとの出会い
今回もいつも通り体験入店をして終わろうと思っていました。
だけど、そこで「M」のママに出会ったのです。
ママは社長出勤です。私が体験入店をして1時間ほどしてから現れました。体験入店をしている、大して顔も良くない、至って普通な私を見て、
「よく来てくれたわね!背高いのね〜!ありがとうね、今日は楽しんでいってね!」
と、笑顔で声を掛けてくれたのです。
ナイトクラブ「M」は、その界隈では一番と言っていいほどの有名店。会員制のクラブで値段設定も高めでした。
そんなお店のママが気さくに声を掛けてくれたのがとても印象的で、衝撃的でした。
ここのママはなんか違うなと、直感的に思ったのを今でも覚えています。
ですが、翌年からは就活が始まるということもありレギュラーで働くのは難しいなと思っていました。
セカンドであるチーママにお話をいただいた時も、正式にそこの女の子として働くのは渋っていました。
お断りしようとすると、チーママに、「年内だけでもいいから、うちで働いてくれないかな?日給でいいから」と言われました。
当時はまだ夏だったので、半年くらいならいいかな、日給ならありがたいな、と思い私の「M」でのレギュラーでのナイトワークが始まったのです。
女の子を第一優先にしてくれるママ
そうなってからもママの優しさは変わりませんでした。入ってから気づきましたが、「M」が人気である大きな理由は、ママが女の子を第一優先で大切にすることでした。
私は大学生だったので、本業でナイトワーカーとして働いている方と区別してもらっていました。
「さとみちゃん(当時の私の源氏名)は大丈夫よ。勉強と就活頑張りな」としょっちゅう言われていました。
本業の方が週5日出勤しているところを、私は週2日ほど。
ママは私を学生として大切にしてくれていました。
ある時こんなことがありました。
ある企業の方々が、忘年会の二次会で「M」を使ってくれていました。大体40名ほどで貸し切りだったので、私の横にはかなりの密着度でお客様が座られていました。
そのお客様は、その企業のいわゆる下っ端のような佇まいだったのですが、上司やママの目を盗んで私の耳元でいかがわしい質問をしてきます。
「それくらいナイトワークなんだから許せよ~」なんて、多くの人はお思いかもしれませんが、「M」は会員制の値段設定の高めなナイトクラブ。言うなら綺麗に飲む癒しの場所を、ママは作りたかった。
私はそのママの思いももちろん感じ取っていましたが、お客様が団体で使ってくださっている上に、その企業がお得意様であったこともあり、ただただ苦笑いで困り果てることしかできなかったのです。
「はぁ、しんどいな」といよいよ困っていた時でした。
”カーーーーーーーーーン”
軽いけど鋭い音が「M」中に響き渡りました。
そして次の瞬間、
「いっっっっってええ!!!」
私の隣の変態お客がそう叫ぶと、頭を抱えて、椅子から前のめりにうずくまりました。
なんとママは、私が困っているのを発見し、ワインクーラーに入っていた氷をそのお客様の頭に投げてぶつけたのです。
そして、
「あんたねえ!いい加減にしなさいよ!コソコソコソコソ!気づいてないとでも思ってるの?!そんなせこいやつここに入る資格ないのよ!」
と、今度はママの罵声が「M」中に響き渡りました。
後から聞きましたが、ママは随分と前から私が困っていることに気づいていて、彼の上司に注意するようお願いをしてくれていたそうです。しかし、その上司も酔っぱらっていたこともあり、なかなか注意できず、いよいよママが痺れを切らしてぶち切れたようでした。
当時その企業は、2時間「M」を貸切るのに、50万程支払っていました。ママがキレた事により二度と使ってもらえなくなるかもしれない恐れもありました。
ママはそんなこと顧みず、アルバイトの私を守るためにぶち切れてくれたのでした。
結局、後日その企業のお偉いさんがママに謝罪に来ていました。その時もママは毅然としていて、だけど茶目っ気たっぷりに、
「うちの女の子たちいじめたら、ぶっ飛ばすわよ」
と笑顔で言うのでした。
とにかく女の子を大事にしてくれるママでした。そして私は大学生で就活生であったこともあり、特に大切に無理をさせないようにしてくれていました。
自己嫌悪と被害妄想にとりつかれる
”暗黙のノルマ”
ナイトワークと聞くと、皆さんが思い浮かぶ第一の辛いこととは、「ノルマ」じゃないかなと思います。
優しいママのいる「M」ですが、暗黙のノルマがあったんです。
「お店に呼べたお客さんの数」「指名してくれたお客さんの数」につきシールを1枚表に貼られます。「ボトルを入れてもらえた数」に至っては、シールが2枚貼ってもらえる。そして、お給料を頂くときに、シール1枚につき3,000円の手当がつく仕組みでした。
いいんです、手当云々は。もとの時給がいいんですから。
辛いのは、その表がトイレに掲示されること。
たくさんお客さんがいて指名してもらえる女の子たちは、そのシールがどんどん貼られていく。そうじゃない女の子は、出勤したところでシールは伸びない。
お店とママへの貢献度が一目でわかる表でした。
もちろん私は、出勤日数も少なかったため、指名してくれるお客さんも数えられるほどで、いつまで経ってもシールが伸びませんでした。
それでも最初はちゃんと割り切っていました。
「私はこれが本業じゃない、学生が本業だ」と。
前述の通り、ママもそれを許してくれていました。
「いいのよ、さとみちゃん。いてくれるだけでいいから、ありがとうね」と。
しかし、だんだんそのママの優しさが辛くなってきて、耐えられなくなってきました。
とにかく私たちを大切にしてくれるママです。
何か貢献したい、ママのために何かしてあげたい。
その方法はお客さんを沢山呼んで、お金を落としてもらうことしかありませんでした。
そしてそれが出来ない自分にどんどん自己嫌悪がつのっていきました。
「いっそのこと、お客さん呼べって怒ってくれたらいいのに」と思っていました。
それくらいママのしてほしいことはわかるし、だけど大学生の私に気を使うママがありがたくも辛かったです。
ママはナイトワークが本業の女の子達には、たまに厳しく言っていました。
「ここは喫茶店じゃないんだからね、あなたたちが楽しみに来ているわけじゃない、楽しませて、それに対するお金は貰わなきゃいけないのよ」と。
それをママは私には言いませんでした。
そりゃ、怒られる側のお姉さんたちはいい気はしません。
ありがたいことにお姉さん方も優しい方が多かったので、私には悪口などを言ってくることはありませんでした。
だけど、私は思っていました。
「あ~さとみは気楽でいいな、なんであの子だけ言われないのよ。なんて思われてるのかな」と。
被害妄想に違いないのですが勝手に苦しくなっていきました。
ママに貢献したいという思いが強くなりすぎて、それが出来ない自分に自己嫌悪してしまっていました。大学生の本分というのも忘れてがむしゃらに頑張ろうとし、さらにあろうことか被害妄想にも襲われるようになっていたのです。
昼夜逆転で壊れた体
就活がなんとか終わった後、私は「M」とママに貢献するつもり満々でいました。
「貢献できなくて苦しい思いはしたくない、ママの期待に応えられるようになりたい」と、心の底から思うようになっていました。その時は大学生という立場を割り切る事なんて、頭の片隅にもなかったと思います。
お姉さん方から悪口を言われないようにしようなんて思っていました。
しかし、私は当時大学4年生。企業の内定も貰っていて、翌年には「M」を卒業することが決まっていました。出勤日数を増やしても、1年も経たずにどこかへ行く女の子を指名してくれる方は、なかなか増えませんでした。
なので、私は「自分が飲んで稼ごう」という選択をするのです。
着いた席では、「たくさん飲んでもいいですか?」なんてお伺いをたてて、とにかく自分が飲んで稼ぎました。
幸いにもたくさん飲んでくれる女の子が好きなお客さんも多かったため、私が着いた席の売り上げは格段に上がりました。
「あと数センチでボトルが空くチャンス席」には必ず呼ばれ、そこでとどめを刺すのが私の仕事になっていました。
売り上げが上がり、私の被害妄想も少なくなってきていました。しかし、今度私を襲ってきたのはひどい体調不良でした。
お酒は強い方だったので、それが原因でどこかに不調が現れることはなかったのは幸いでした。
しかし昼夜逆転の生活は少しずつ私を蝕んでいきました。
「M」に出勤した日は、お酒をしこたま飲んで午前2時くらいに帰宅。その後シャワーを浴びて、なんやかんやしてると就寝は4時くらいでした。
お酒で身体もだるいため翌日は13時付近に起床。そこから支度をして、学校に行く日もあれば、17時までダラダラして「M」に出勤する日も少なくはありませんでした。
完全に太陽が昇るときに寝て、太陽が沈むときに起きる生活。
睡眠時間は確保できているはずなのに、なんだかずっと身体がだるい。そこで、やっと気付いたんです。
「人間は太陽の陽を浴びて、一日を感じるんだな」と。
陽に当たらないことで感情まで下向きになっていきました。
出勤するために家を出て外がすでに真っ暗なことに気づくと、この世の終わりかと思うほどの吐き気をもよおすのでした。
しかしそんな真っ暗な中を突き進むしか、ママに貢献できないことは分かっていました。
貢献したいという気持ちと体の不調によってどんどん板挟みになっていきました。
「M」に出勤して明るい世界にいる自分と、暗く沈んだ気持ちの自分との間で葛藤し、とにかく苦しかったのを覚えています。
結論:学生のナイトワークは割り切る事
学生時代のナイトワークにおける辛かったことをお話してきましたが、もし今の私が当時の「さとみ」に言えるとしたら、
「早いとこ割り切れ。ママは意外と何も考えてない」
こう言ってあげたいです。
だって大学生のアルバイトです。ナイトワークだからって気張ることなかったんです。本業は勉強、出来ることだけやろう。と、早いとこ割り切る方が賢明でした。
勝手に自己嫌悪におちいって欠勤される方がお店からすればだいぶ迷惑です。
代わりを探すのも、少ない人数で営業するのも簡単ではありませんからね。
だからこそ自分の出来ることを見つけて、そこに勤務時間のみ賢明に尽くす。今考えればこれがママへの1番の貢献だったのではないかと思います。
そして、これは「M」のママに限ったことかもしれませんが、私の悩んでいた暗黙のノルマなんてママはこれっぽっちも気にしていませんでした。
それより、「今日自分の太客(たくさんお金を使ってくれるお客様)が来てくれるかどうか」の方が気がかりだそうです。
だからこそ、やはり私は早くに割り切るべきだったのです。
私は「M」とそこのママから多くの事を学びました。
「お客様のカラオケ中に離席するのは失礼なこと」「時計をチェックするのは、早く返ってほしいと思わせてしまう可能性がある事」、「聞き上手が会話上手であること」「自分にしかない個性を光らせることが大切なこと」など。
ここに書ききれないほど、一般常識や人間性など学ばせてもらいました。
そして、その学びの全てが社会人になっても活きています。
今でも「M」もママも大好きです。
いつかあなたが「M」とママに出会えたとすれば、ワインクーラーの氷には十分にお気を付けくださいね。