不自然に大きな目と、小さすぎる顔、そしてまるでローラーで伸ばしたかのようなすらっとした足。
人形は全てを持っているけれど、中身は空っぽだ。
悩んだ末にたどり着いたアイデンティティとの自分の存在意義のバランスが、一瞬にして崩れ去ったように思えた。
大学生活の4年間、サロンモデルとしてアルバイトをしていた。
当時、私は18歳だった。受験勉強ばかりをしていた生活を終えて、制服にさよならを告げたばかりのただの新入生だった。モデルなんてきらびやかな響きからはかけ離れた生活をしていた。
大学でやろうとしていたことと言えば幼少期から15年以上続けているクラシックバレエと学業の両立くらいで、それ以外は特に頭になかった。
モデルにならない?
「美容師のモデルやらない?友達が探してて」
そう言われて言葉につまった。自分なんかがモデルなんて、そう思った。自分の容姿は人に誇れるようなものではない。身長も平均で特段スタイルがいいわけでもない。それでも、18歳の小娘だった私は興味本位でやってみることにした。
当日現地についてみると、現場は美容師さんがスタイリングコンテストに出品するための写真撮影といった様子だった。今考えれば、モデルのモの字も知らない小娘をよく使ってくれたと思う。このとき撮影したデータを今も持っているが、恥ずかしいくらいただの素人だった。でも、自分の体と表情で世界観を作り出す作業は、どこかバレエと似たところがあり、作品を作り上げていくプロセスに親近感が湧いた。
私にはレンズの向こう側の自分はどのように写っているのだろうという好奇心もあった。バレエと感覚が似ていたからか自分が想像していた以上にスラスラとポーズができたり、表情を変えることができた。この撮影体験というのは一種の中毒性があると言っても過言ではない。初めての撮影を終えた時、私はすっかりこの仕事の虜になってしまった。
普段は大学とバレエという限られたコミュニティで生きている私にとって、美容師さんたちとの交流が何より新鮮だった。モデルとして仕事をする機会がなければ絶対に関わることのない人たちだった。美容師さんのほとんどが美容専門学校で2年間じっくり時間をかけて専門技術を身につけている。美容師一年目のスタッフさんたちはまさに自分と同年代だったが、仕事という自分とは違うフィールドで輝いている姿は、見ていてとても刺激的だった。
モデル撮影の世界
撮影に参加してわかったことがある。美容師さんの仕事はヘアスタイルの域を超えているということだ。
モデルのメイクはもちろん、衣装も含めた全体のバランスを細かく決めている。さらには、カメラマンまで美容師さんが担当することもある。出来上がった写真は美容師さんたちがデザインした一つの作品なのだ。
本業のヘアのみでなく、カメラマン顔負けの技術で一眼レフを使いこなすその仕事への貪欲さは、今考えても尊敬する。その姿勢を間近で見ていた私は、学問やバレエとは違うけど、できることを常に追い求めなければと強く思った。毎回の撮影ごとに私は自分が鼓舞されるような気がした。
突然始まった私のサロンモデルとしてのキャリアだったが、インスタグラムやサロンモデル紹介サイトなどを通して徐々に他にも撮影依頼を受けるようになった。場数を踏むことでだんだんと自分が求められているキャラや雰囲気もつかめるようになってきた。
偽物の自分
「可愛い、人形みたい」
モデルの仕事を続けて3年目に差し掛かった頃だった。ある撮影のとき、カメラの周りで撮影を見ていた多数の美容師さん達がまるでやまびこのようにこの言葉を繰り返した。
急に頭を殴られたような感覚に陥った。周りがスローモーションに見えて、二日酔いの頭痛のように何度も言葉が頭に響き渡る。人形。そうか、自分は人形なのか。この仕事に私らしさはいらないのか。ただ、人形であればいいのか。彼らに悪気はないのはわかってはいたけれど、私の心にはなぜかその言葉が深く鋭く突き刺さってしまった。
それ以前にもよく要求されるイメージの中で「外国人風」というものがあった。
私は両親はもちろん祖父母も日本人なので生粋の日本人だ。ただ、一般的に言う日本人顔よりは少し彫りが深く、くっきりとした二重まぶただった。初めて会う人にはハーフ?とか日本人?と聞かれることが多かった。
サロンモデルのバイトでも、よくこれを聞かれた。次に続く言葉が決まって「ハーフっぽくて羨ましい」だった。スタイリストさんが何気なく発している言葉だし、悪気はないとわかってはいても、私はこれが嫌だった。
どうしてハーフが羨ましいのか。日本人が日本人らしくないことが美徳とされてしまっているように感じてしまった。本当のハーフのモデルさんたちに囲まれながらの撮影会で、自分が日本人であることはもしかしたら悪いことなのかと、ふとそんな罪悪感に包まれたこともあった。
そもそもハーフっぽいってなんだ?半分なんなんだ?と思って何度か「どこのハーフっぽいですか?」と聞いたこともあった。ロシアと韓国のハーフと言われたこともあった。もはや、そこには日本人は残っていなかった。日本語で会話をしていただけに、余計に嫌な気分になったのをよく覚えている。
昔からそうだった
思えば昔から、人と違うことに多かれ少なかれ苦しんできた。顔立ちが ”人と違って” 目立つこと、”人と違って” 部活動は行わずバレエやピアノばかりをしていたこと、”人と違って” 本の虫であること。
こんな “人と違う” 自分に対して、日本の典型的な小中学校は冷たかった。周りの先生や生徒達は人と同じであることを美徳としているように思えた。自分がはれ物扱いされるのに、うんざりしていた。特に中学の3年間は、本当に毎日毎日が嫌で仕方なかった。いつも遅刻ギリギリの一番最後に学校に到着し、誰よりも早く学校を去っていた。小学校中学校を卒業するまでの9年間の学校生活は私にとってはまさに拷問だった。学校から学ぶことなんて何もないと思っていたから、本を読みあさり、毎日映画を見て、そしてバレエとピアノに没頭する日々だった。
それでも、高校に入るとクラスメイトに恵まれたおかげで、人と違うって悪くないし、むしろ人と違う部分こそが自分なのだと思えるようになった。自分の個性こそがアイデンティティで、自分らしさなのだと。大学を選ぶ時も、周りにはビックリされたけど、もともと希望していた理系の大学とは全く関係ない、都内の某キリスト教系大学を選んだ。こうやって自分らしさに自信を持てるようになってきたのは、私の人生の中で大きな一歩であった。
しかしそれが、この「可愛い、人形みたい」という一言で、打ち崩された気がした。
人形という言葉から私が連想したのが、小さい子供がよく遊ぶフランス人形やバービー人形だった。私の中での人形の解釈は、ルックスの良さのみが取り柄の言わば「モノ」だった。
不自然に大きな目と、小さすぎる顔、そしてまるでローラーで伸ばしたかのようなすらっとした足。人形は全てを持っているけれど、中身は空っぽだ。悩んだ末にたどり着いたアイデンティティとの自分の存在意義のバランスが、一瞬にして崩れ去ったように思えた。
この仕事に自分らしさは必要ない。私の評価は、自分が得たものではなく、外見という生まれつき持っている特徴に基づくものなのだ。そんな気がした。
それからというもの逆に自分は人形なのだと強く思い込むようになった。人形であるべきならば、偽物でなく本物の人形を使えばいいのに思った。私は完全にひねくれていた。好きだった仕事は気がつけばいつしか苦痛になっていた。
閉じていく心
それでも仕事はコンスタントに継続していた。バイトをする必要があったから、嫌々ながらもモデルの仕事を続けていた。
あの頃の私は本当にただの人形だったのかもしれない。撮影に行くたびに、何度も何度も美容師さん達から発せられる「人形」という言葉がひどく耳についた。表面上は笑って受け流していたけれど、握った手は汗ばんでいた。以前は頻繁に撮影データを載せていたInstagramにもプライベートの写真しか載せなくなっていた。
撮影で「人形」と呼ばれるたびに、どんなに多方面でできる限りの努力をしても、結局自分は薄っぺらい外見しか評価されない気がした。自分が自分らしくあろうとしてきた思春期は果たして無駄だったのだろうか。
撮影後の帰り道はいつも暗い気持ちになった。もはや限界だった。どこか別の場所へ行かなければ自家中毒で死んでしまうような気がした。今いる場所と全く違う場所へ行かなければならないと思った。そして私はロンドンに飛んだ。
本当の私
ロンドンは、もともと小さい頃に馴染みのある街だった。
日本からは5000マイル以上離れているが私の第二の故郷と言っても過言ではない。都内の地下鉄はよく間違えるけれど、ロンドンの地下鉄は乗りこなせた。
そんなロンドンでアパートを借りて、短期滞在をした。そこでバレエやミュージカルの舞台芸術の稽古を受けることにした。
日本人としては平均でも、ヨーロッパに出れば、私は身長が低い。手足の長さだって向こうの人にはかなわない。自分の見た目がプラスにならない場所で、自分の価値をもう一度確かめたかった。
怖いもの知らずで飛び込んだ世界では、不思議なことに日本とは正反対の視点で褒められることが多かった。身長が低いのにジャンプが高いとか、人一倍芝居を伝えようとするエネルギーが伝わってくるとか、表現することが何よりも好きなのであろうとか。そこは人形としての私ではなく、本当の私が受け入れられる場所だった。今思い返せば、あの時何も考えずに航空券とアパートを予約した自分の行動力に感謝せざるをえない。
もう一度向き合う
外見がさほどプラスに働かない場でも、しっかりと自分を発揮できた。求めていた結論に辿り着けた気がした。自分の中でしこりとなっていたものがゆっくりと分解されていくような気がした。
帰国してからはモデルの仕事とプライベートの切り替えが前よりも少しうまくできるようになった。モデルの仕事は、魅力的に見せることだ。その仕事をしている以上、人形みたいと褒められることは悪いことではないと認識できる程度には精神が回復したようだった。
私は全く違う場所に行くことによって自分を再確認することができた。自分のやってきたことは無駄ではなかったと確信することができた。そこでもう一度モデルの仕事に向き合えるようになった。
今度は自分から本当にこの仕事をやりたいと思って撮影に臨むようになった。
あとがき
今振り返ると、思うことがある。
私が子供だったから「人形みたい」という言葉に過剰反応したのだ、必要以上に繊細だったから悪気のない言葉に悪意を見いだしたのだ、そう言い切ってしまうこともできるかもしれない。だが実際、モデルのアイデンティティというのは度々社会問題になる。パリコレモデルが痩せすぎ禁止になったのも記憶に新しい。モデルというのは周りからの評価によって自分のアイデンティが崩れることがままある職業だということだ。その渦中にいた自分としては、単純に繊細だからという言葉ですべてを言い切ることはできない思った。
人は誰しも、理想の外見を手に入れたいものだと思う。そんな願望自体は何一つ間違っていないし、自然な欲望の一種だと思う。しかし、その外見のみを賞賛されることは時に人を虚しくさせる。それが自分のアイデンティティの全てになってしまうような環境に身をおくと、当然自分自身を見失ってしまうこともある。人間は想像以上に壊れやすい。いくら強がっていても、自分の芯を失ってぽっかり心に穴が開くときがある。
外見というのは、年を重ねれば変わっていくものだ。若いうちは外見のみがアイデンティティでもいいかもしれない。でも数十年後に理想の自分でいられなくなったら、そこには何が残るだろう。ありのままの自分を受け入れ、年を重ねるプロセスも楽しめる素敵な大人になるためには、外見だけに執着しないように日々努めることも大事になる。自己肯定力を高めるためには、外見だけではごまかせない。内面を磨くなんてありふれた言葉かもしれないけれど、ありふれた言葉だからこそ大切なのだと私は思った。
モデルのアルバイトしたことによって自分の長所が活かせる仕事に巡り合えたし、「人形みたい問題」で多くを学ぶことができた。すべてはひょんなことから始めたサロンモデルの仕事のおかげだ。最初に自分を誘ってくれた友人には感謝してもしきれない。
どんな職業でも、多かれ少なかれ様々な葛藤はある。私にとってモデルの仕事とアイデンティティの悩みは自分を見つめ直すいい機会だったのかもしれない。あのどん底のような気持ちを味わったことは、この先直面するであろう困難に打ち勝つための必要な儀式だったのかもしれない。大学生という時間の中で、自分についてじっくりと考えることができたのは、この一風変わったサロンモデルというバイトのおかげだったと今では思う。