レスパイト・ケア。

障害児を持つ親にちょっとした休憩を提供するアルバイト。

「レスパイト・ケアって知ってる?」

桜の写真

ケツメイシの「さくら」がヒットチューンとしてラジオやテレビで流れまくっていた2005年。私は心理学系の大学院で、心理学の知識を福祉の分野に活かす研究をしていた。対象は障害児が主だった。どんな関わり方をすれば、より障害児の不安を減らし、パニックを予防できるのか、手探りながら熱意を持って全力で取り組んでいたつもりだった。

私の恩師である成田先生は、障害児研究の第一人者だ。8月で講義もないある猛暑日に、私はその成田先生から研究室に呼び出された。

「小室君、レスパイト・ケアって知ってる?」

成田先生は、丸い眼鏡の奥に潜む眼光鋭い眼差しを私に向けて問いかけた。研究室のクーラーの効きが悪く、すぐに返答できない。私は先生の白いあごひげを見ながら、首にまとわりつく汗をぬぐった。

「レスパイト。ちょっとした休憩という意味なんだけどね」

成田先生は私の返答を待たず、説明を始める。

「子どものケアとか介護でさ、一番自分の時間を取られるのはお母ちゃんでしょ。そういうお母ちゃんにさ、ちょっとした休憩時間を提供するのが、レスパイト・ケア」

お父ちゃんの場合もあるでしょ、などという屁理屈は頭の中だけにして、今日ここに呼び出された理由を察知した。

「そのレスパイトを、やってみたらどうかっていうお話でしょうか?」

まるで私の声なんて聞こえなかったみたいに、成田先生はそのまま続ける。

「一応有償だからね。時給1,200円。知的な遅れのある小学生以下の年齢の子が来るから」

それから後は、行くべき場所と訪ねるべき人を一方的に伝えられ、研究室から締め出されてしまった。

実を言うと、それまでレスパイトなんて聞いたこともなかったし、福祉系のアルバイトは初めての経験だった。成田先生のいつもの調子に乗せられたようだけど、先生のことだ、何か意図があるのだろう。そう思って、まずは1度、やってみようと思った。

会って10秒でタックルされる

ラグビーでタックルをしている写真

私が通っていた大学院は、宮城県仙台市にある。

初めてのレスパイト・ケアのバイトで訪れたのは、仙台市の中でも東の方に位置する障害児の通所施設だった。

アルバイトの流れとしては、保護者と一緒に通所してきた障害児を迎え、保護者から当日の子供の健康状態について、所定の書類へ記入してもらう。

当日の体温や朝食の有無、近日中の状態(パニックなどがあったか)、そして注意事項について、アルバイトはこの書類で知ることになる。

「注意事項」というのは、「この子と関わる時に、こんなことに気を付けてほしい」というものだ。

たとえば、ある子どもは“絶対お昼12時に特定の菓子パンを食べさせてほしい(そうしないとパニックを起こす)”という注意事項がある。またある子どもは、“大きな音をイヤがるから、あまり大声で話さないでほしい”といった注意事項がある。

朝9時。

私にとって初めてのレスパイト・ケアが始まった。

その日の利用者は、タケル君という、10歳で中程度の知的障害児だった。とてもきれいだけれど不機嫌そうな母親に連れられてきた。タケル君は泣きながら母親にしがみついてやって来た。

「ママ、何時に来る?ここ、何時まで?いつ帰る?」

タケル君は、母親と離れることに強い不安を覚えていたようだったし、何よりも初めて訪れる施設を怖がっていたように思えた。2回ほどボランティア経験のあった私は、「ママは12時にお迎えに来るからね。大丈夫」と声をかけた。

しかし、タケル君は私が言ったことは聞こえなかったように、ずっと母親の服の裾にしがみつき、同じ質問を繰り返している。

「たける、ママは12時にお迎えに来るね。お姉さんの言うことをきいて、いい子にしていてね」

母親はそう言って、なかば強引にタケル君の手を服から引き離し、出て行ってしまった。受付のカウンターに残された書類に目を通す暇もなく、私は泣いているタケル君の手をとり、「何して遊ぶ?」と声をかけた。

その時だった。タケル君が私の手を振り払い、私の下っ腹をめがけて、全力で体当たりしてきたのだ。

思いがけない行動だったため、防御することもできず、くぐもった声を出して思いっきり尻餅をついてしまった。

(え?私今、どうなった?)

あまりの痛さとショックで動けずにいると、すぐに施設の職員がやって来た。

「はい。タケル君こっちにおいで」

職員はまるで私の姿だけ見えないみたいに、タケル君の背中を包むようにして、奥にあるプレイルームへと誘導して行ってしまった。

(なんだこれ?どういう状況?)

職員とタケル君の姿が見えなくなってからも、動けずにいた私のもとへ、私よりも先にバイトを始めていた同級生の佑実が心配そうに声をかけてきた。

「大丈夫?とりあえず、書類見てからプレイルーム行ったほうがいいよ」

書類?書類……。

私は冷静になろうとしながら、立ち上がり、カウンターに置きっぱなしになっていた書類をつかむと、その数行目でまた大きなショックを受けた。

書類が重なっている写真

タケル君の母親が置いていった書類には、次のように書いてあった。

“注意事項:手をつなぐのはNG。自閉傾向があるので、1つの作業に集中している時はむやみに声をかけないでください。おやつ持参。飲み物は水以外NG。”

それを読んだ瞬間、とてつもなく大きな後悔に襲われた。自分の勉強不足を恥じた。「自閉傾向」というのは、自閉症スペクトラム障害の傾向があるということだ。つまり、興味・関心の幅が狭く、とても深い。そして、予定の変更などについていきにくいという特徴などが挙げられる。

大学院で、自閉症スペクトラムのことは勉強していたのに、実際に会って10秒も経たないうちにタックルされ、尻餅をついた私。タケル君のことを何も知らないまま、レスパイトという意識もなく、すぐに手を取ってしまった私。

初めて会う人にいきなり一番嫌な「手つなぎ」をされたタケル君。大好きなママと離れて不安なのに、さらに嫌がらせのように不快な思いをさせられたタケル君。

書類に目を通した上で、新米バイトのフォローのために、タケル君の手をとらずに優しく背中を包み込んだ職員の阿部さん。

書類を読みながら、自分のアルバイトへの意識の低さに愕然とした。

なんとかしなきゃ。

何か、しなきゃ。

書類をもう一度よく読み込み、私はタケル君のいるプレイルームに向かった。

パズルのピース

子供がブロックで遊んでいる写真

プレイルームに入ると、タケル君は職員に見守られながら、ミニカーのタイヤの部分を手で回転させて遊んでいた。

阿部さんと目が合って、手招きをされた。

「書類読んだ?」
「はい。今ようやく、読みました。本当に、すみませんでした。タケル君にイヤな思いさせちゃって」

私の言葉をきいて、阿部さんは少しだけ笑顔を見せた。

「そうだね。でもそう思ってるならいいよ。バトン・タッチしてもいい?」
「はい。何かあったら、相談させてください」

阿部さんはタケル君のところへ戻ると、しばらくタイヤを回す手が止まるまで待っていた。

私も一緒に待つ。

(自閉傾向があるので、1つの作業に集中している時はむやみに声をかけないでください)

書類に書いてあった注意事項を頭の中で反芻するタイヤを回す行動に集中している今は、バトン・タッチすることをタケル君に伝えるタイミングではないということだろう。だから阿部さんも私も、こうしてタケル君を待っている。

阿部さんがさっき、「そう思ってるならいいよ」と言ってくれたのは、私がタケル君にされたことよりも、私がタケル君にしてしまったことを考えていたからだろう。

「うん、うん」

タケル君はそう言うと、いきなりタイヤで遊ぶのをやめて、ミニカーを収納ボックスに戻した。その時を待っていた阿部さんが、ついにタケル君に話しかける。

「タケル君、今日はこのお姉さんが一緒にいてくれるからね」

おもちゃの写真

私も急いで自分が何者かを明かす。

「私は、小室直子といいます。よろしくね、タケル君」

タケル君が私に視線を向けた時、少し顔がこわばったように思えた。

「さっきは、いきなりごめんね。もう、手はつながないから」

これ以上嫌われたくないという気持ちと、これ以上怖がらせてはいけないという考えが、次の言葉を止めてしまう。

しかし、タケル君は私の言葉をきくと、「う」と返事をした後、「何して遊ぶ」と、独り言のように言った。

遊びに誘われているのか、それとも1人で遊ぶ前につぶやいただけなのか。次々とあらわれる選択肢の中で、ベストな選択肢を選ぶために、見た目とは裏腹に頭をフル回転させる。

「タケル君、パズルは得意?」

タケル君は小さくうなずくと、プレイルームの収納ボックスから、有名キャラクターのパズルを持ってきた。タケル君がパズルを取りに行った時点で、阿部さんは席を外した。

タケル君がパズルをしている様子をしばらく見ていると、少し法則が分かってきた。四隅を埋めて、縁を埋めるところまでは素早かったが、中央のピースを埋めるのに難航している。考えこんでいる様子を見て、今なら話しかけてもいいと判断した私は、明るく声を出した。

「私もやっていい?」

タケル君はまた小さくうなずいて、私がピースを取りやすいように、スペースを空けてくれる。初めて受け入れてもらったような気がして、心の中で安堵のため息をついた。

しばらく一緒にパズルに取り組み、最後の1ピースになる。タケル君は、最後のピースを手にとって、ぱちんと音を立ててはめ込んだ。

時計を見ると、もう11時40分になっていた。

さよなら、直子さん

天使の石像の写真

「もう少しでママがお迎えに来るね」

私が声をかけると、タケル君が笑顔になった。完成したパズルを崩さないように、そっと収納ボックスにしまってくれた。

12時まで少し時間がある。持ってきたお菓子にまだ手を付けていないことに気が付いた私は、タケル君におやつタイムにしようかと持ち掛けた。

タケル君が持ってきたおやつは、パン屋で販売しているタイプの手作りラスクだった。アレルギーのリスクを回避するために、この施設ではおやつの提供や、子ども同士のおやつ交換が禁止されている。

タケル君は自分で持ってきたラスクをおいしそうにほおばった。「サクサクしてるから、すき」と言いながら、私に1つ差し出してくれた。

「ありがとう」私はラスクをもらって、食べてみた。ザラメがついて、ザクザクした食感。こういう感覚を好むのかもしれない、と思った。

「すみません、ありがとうございました」

玄関からタケル君の母親の声がする。

「ママ!」

タケル君が空っぽになった皿を無造作に置いて、玄関の方へ飛び出していく。私はたった3時間のアルバイトなのに、心がひどく疲れていた。

母親は、レスパイトの間に美容室に行って、百貨店でショッピングをしてきたと阿部さんに話しながら、今朝とは打って変わって、とてもさっぱりとした表情で笑っている母親の隣に立ったタケル君は、うっすらと笑顔を浮かべて、母親の服の裾を持っている。

「タケル君、またね」

私が声をかけると、タケル君は私の目をまっすぐに見て言った。

「ありがとう。さよなら、直子さん」

くるりと背中を向けて、母親と一緒に施設を出ていくタケル君。タケル君に名前を呼ばれた瞬間、思ってもみないことに、涙が出た。目を見開いて、タケル君と母親の背中を見送りながら、あふれてくる涙を止められなかった。

出会って10秒でじんじんするような痛みを伴う経験をしたこと。

たった3時間で感じた障害児ケアの大変さ。

最初の自己紹介の時、私の名前を覚えていてくれたこと。

これを当たり前のように、日常的に10年間続けている母親。

その母親が、レスパイト・ケアの間に美容院に行って、買い物をすると、あんなにもいい表情になるんだ。きっと研究ばっかりで現場経験がない私のことを不安に思って、成田先生はこのアルバイトを紹介してくれたんだろう。

いろいろな思いが絡みあった状態で、阿部さんから「お疲れ様」と声を掛けられるまで、涙を流しながら私は玄関に立っていた。

私がいた街

伊達政宗の銅像の写真

最後に、私がレスパイト・ケアのアルバイトをしていた宮城県仙台市の住みやすさについて紹介したい。

学都(がくと)・仙台

仙台市には、「学都仙台」という呼び名がある。

これは、学術・教育事業、政策等に熱心である姿勢を伝えるためのキャッチコピーだ。

その名の通り、旧帝国大学である東北大学をはじめとして、仙台市内だけで10の大学があり、学びたい人のための街だと言える。

障害児への教育にも熱心であり、知的障害を対象とした特別支援学校は、過密状態と言えるほど充実している。

適度な自然、適度な都会

仙台市は、「杜の都」というキャッチコピーもある。

仙台市の中心部にあり、冬季は「光のページェント」が行われる定禅寺通りを歩いてみると、約700mにわたってケヤキ並木を楽しめる。ハイブランドのショップもあるまったくの街中なのに、緑を楽しめる。

秋になると「定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台」が行われ、色づいた木々を見ながら、ジャズの生演奏を楽しむことができる。

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