寒さがこれほど人を惨めな気分にさせるのだと、その日初めて知った。寒空のなか、かじかんだ指先はものに触れる感触もよくわからなくなっていた。
大晦日の夜、私は全財産たったの1000円で正月が明けるまで生き延びなければならなくなった。
財布に入っているのは1000円札一枚
当時、私は自動改札機も設置されていないような田舎から出てきたばかりの大学生だった。入学のために上京してきた私にとって、日常生活は知らないことだらけだった。はじめての大学生活。はじめての一人暮らし。そしてはじめての東京で迎える大晦日。毎日が楽しくて、楽しくて、地元に帰省する気なんてさらさら起きなかった。
目にうつる全てが新しいものだらけで、私は毎日浮かれていた。若さゆえの無敵感があった。とりあえずなんとかなると思っていたし、実際なんとかなっていた。その日、大晦日もそうだと思い続けていた。
だがその大晦日は違った。
当時の私は全くの無知だった。生きるために必要な最低限の知識を一切持っていなかった。ATMで一定回数暗証番号を間違えると引き落としがロックされるということなど全く知らなかった。
私はいつも通り、親からの仕送りが入っている三菱東京UFJ銀行の口座からお金を引き落とそうとして何度か暗証番号を間違えた。これかな?こうだった気がすると、やめときゃいいのに私は一度、二度、三度、四度……と暗唱番号を入れ続けた。最後には「申し訳ありませんが初めからお手続きください」という文字をぼんやり眺め続けることになった。
今の自分がその時の自分に何かできるとしたら、ビンタしてでも暗所番号の入力を止めさせるだろう。ATMの案内画面の文字が変わって、ようやく私は自分の口座から金を引き落とせなくなったことに気づいた。
何が起こったのかわからずしばらくポカンとしていた。自分の置かれた状況が詰んでいることに気がついた瞬間、すっと血の気が引いた。心臓はバクバクしていた。後ろで待っていたおじさんが軽く舌打ちをした。
当時の私はインターネットバンキングで暗証番号の再登録ができることも当然知らなかった。(というか当時それはできなかったかもしれない)そして、さらにアホなことに、銀行の窓口が大晦日から正月が明けるまで開いていないということも知らなかった。なんにも知らなかった。それらのことを知ったのは、どうにもならなくなってなんとかしようと先日買ってもらったばかりのスマートフォンを使って調べてからだ。
私の財布に入っているのは1000円札一枚だった。それが全財産だった。
大学進学したて早々なのに親にお金の無心をするのは恥ずかしくてできなかった。身内からの仕送りで生活しているくせに、なぜか身内への見栄があった。しかもお金がない原因がATMの暗証番号入力ミスだ。親に知らせた瞬間、田舎コミュニティ特有の情報伝達の速さによって、事情を話してもいない地元の隣の家のおばあちゃんなどから「あんた年末大変だったらしいね」と呆れ顔で言われるのは目に見えていた。私には変なプライドがあった。
何にも知らない自分が情けなかった。自業自得だと思った。大晦日の夜に私は東京の寒空に放り出された。
地獄に垂れ下がった蕎麦の糸
トボトボと家に帰って冷蔵庫を開けても食材は一切入っていない。わずか1000円で正月明けまでもたせるのは到底無理だった。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。何度もその言葉が頭の中に浮かんだ。パニックになった私はなぜか家を出て駅の周辺を右往左往していた。
そんな時、駅前の蕎麦屋の張り紙が目に入った。
「急募 時給970円 年越し蕎麦売り場スタッフのアルバイト お気軽にお電話ください!」
お釈迦さまは地獄に蜘蛛の糸を垂らしてくれると言うが、私にとってこの蕎麦屋のアルバイトこそが目の前に垂れ下がった救いの糸だった。張り紙に電話でご連絡くださいと書かれていたが、私は勢いよく店に飛び込んだ。身分証をと言われたら最悪学生証を見せようと思った。勢いが全てだった。
店内に入ると、ふと私は何も注文せずにアルバイトの応募をしては心証が悪いかもしれないと考え、なぜか440円の蕎麦を注文した。私はきっと混乱していたのだ。残金は560円となった。
蕎麦を食べ終わってすぐにバイトがしたいと店主に申し出た。蕎麦を食い終わってすぐの女から突然アルバイトの申し出を受けた店主は非常に困惑していた。でもその時は他の店員さんの迷惑そうな視線も、驚いてこちらを見つめるお客さんの目も全く気にならなかった。私は必死だった。大晦日の当日にアルバイトをやりたがる人間は少なかったのかもしれない。店主に頼み込んでなんとか了承をもらうことができた。アルバイトが決まった。正月明けまでなんとかなる。その事実が、ただただ嬉しかった。蕎麦屋の店主が仏のように見えた。
かじかむ指先と寂しくこだまする声
アルバイト内容は、年越し蕎麦を大晦日から三ヶ日にかけて駅前で手売りするというものだった。時々都内の駅構内で物産展がやっているが、それの屋外バージョンと考えてもらって差し支えない。勤務時間は10:00〜21:00だった。
私の他にもう一人、年配の女性がアルバイトとして来ていた。
「頑張ろうね」
そう声をかけてくれる女性に、私は引きつった半笑いで返すことしかできなかった。あまりにも寒かったのだ。立地が悪すぎだった。その日は気温が恐ろしく低くなる上、蕎麦を売るK駅は風が吹き抜けていく構造になっていた。売り始めてわずか10分ほどで私の指先の感覚はなくなっていた。蕎麦屋の店主が制服代わりにと笑顔でウインドブレーカーを貸してくれたが全く役に立たなかった。
午前中は年越しそばを買う人が誰もいなかった。私はびゅうびゅうと音を立てて吹く風にあたりながら、ただそこで突っ立っていた。突っ立っているだけでお金が貰えるのだから、ありがたく思うべきなのかもしれないが、それはあくまで暖かい屋内での話だ。
午後になり、もう帰ってしまいたい気分になっている私をよそに、もう一人のアルバイトの由美さんは笑顔で「年越し蕎麦いかがですか!」と声を張り上げて営業している。その声が人のほとんど歩いていない駅構内に寂しくこだました。私は完全に寒さでやる気をなくし、まれに来るお客さんの注文を後ろを向きながら時々さばくだけのレジマシーンと化していた。由美さんのはつらつとした声と笑顔が、私の良心をちくちくと刺したが、そんなことよりも帰りたい気持ちの方が強かった。
目の前で反復横跳びだけして帰っていく子供
マシーンとして業務をこなしていると、脳味噌の動きがだんだん鈍くなってくる。時間が進むのがやけに遅く感じた。そろそろ一時間経ったかな?と思い腕時計を見ると、まだ20分しか経っていなかった。
あまりに時が進むのが遅いので、全くやりたいと思わなかったが私は「代わりましょうか」と言ってレジ担当と接客担当を由美さんと交代した。接客を彼女に任せきりにしている罪悪感も少しあった。
レジマシーンもなかなかの苦痛だったが、接客担当はさらに最悪だった。自分がこんなに寒い思いをしているにもかかわらず、大晦日で皆が浮き足立っているのがやけに腹立たしかった。寒さはすでに憎しみへと変わっていた。それでも年越しそばを買ってくれるならいい。そうではなく、買いもしないのに浮かれていて、いささか行動に問題のある人が駅にはたくさんいた。
「こんな若い子が大晦日にアルバイトか」の一言から始まり、くどくどと30分近く話し続けた挙句、蕎麦をひとつも買わずに帰ったおじいさん。駅の改札口で待っている男性に走って抱きつきながら「ゆうくん♡」と言いながら往来でリップ音の聞こえるキスをかますお姉さん。物珍しそうに年越し蕎麦の売り場を眺め、なぜか目の前で反復横跳びだけして帰っていく子供。
由美さんはこんな魑魅魍魎をさばいていたのか……。
私はその日が接客業初体験だった。それもあって客たちの理解できない行動にとても困惑した。時間が経つごとに接客業へのぼんやりとした華やかなイメージは崩壊していった。なんなんだ、これは。接客業とは華やかなものではなく、精神と体力と忍耐力の修行の別名であった。そのときから、全ての接客業の人を最大限尊敬し、優しく接しようと心に決めた。接客業の人はほんとうに偉い。
由美さんに対して、今まで接客担当をお願いしていたことへの切実な申し訳なさが心に湧き上がった。
由美さんにしばらく自分が接客担当を続けることを提案すると、彼女は心なしか疲れた笑顔で頷いた。しかし続けるのは良いが、長時間自分がこの接客のストレスにさらされ続けることは絶対に嫌だった。
じゃあ今日分の蕎麦の箱、さっさと全部売り切ればいいんじゃない? そう思った。
スーパー年越し蕎麦営業マン
年越し蕎麦を全て売り切るためにはどうすればいいか。
まず私は大量買い(少なくとも二箱から三箱買う)するお客さんに目をつけた。
それは家族連れ、老夫婦である。
家族連れは大晦日の買い物帰りで年越し蕎麦の購入率が比較的高かった。手荷物が少ない場合、さらに購入数は増えた。老夫婦も大量に買ってくれることが多かった。それに家族連れも老夫婦も、一人に「年越し蕎麦を買いたい」と思わせれば必ずいくつか買ってくれた。家族連れ、老夫婦は一人説得すれば大量に蕎麦がさばける、非常にコストパフォーマンスの高いお客さんだった。
そのあとの私は自分で自分を褒めてもいいくらいのスーパー年越し蕎麦営業マンとなった。
まずは「寒いですね」という雑談で足を止めさせ、夕食の当てがあるかどうか確かめる。夕食の当てがなかったら年越し蕎麦を売るメインターゲットだ。(夕食の当てがあったとしても、翌日の食事のストックとしておすすめした)その中で一番発言権が強そうな人を選んで蕎麦の購入を交渉する。冷蔵庫を管理しているお母さんか、お腹が減っていそうな子供が狙い目だった。なんなら、「在庫、たくさんあってなくならないとまずいんですよ」という内輪の話も漏らす。全然困ってなんてないけど、とても困ったような顔をして言った。寒空の中で編み出した良心に訴えかける泣き落とし戦法だ。
私はそうやって売って、売って、売り尽くした。
結果、在庫がすっからかんになるまで売ることができた。積みに積まれていた段ボール箱の山は全て畳まれ、私と由美さんの目の前には何も載っていないテーブルが残っているだけだった。最後に確認に来た店主が驚いたように「お疲れさま。ありがとう」と声をかけてくれた。売り切って完全に消耗していた私だったが、その一言が少し嬉しかった。
私は帰り道に考えごとをしていた。
「頭を使って物を売るのは、楽しい」
たどり着いた先は「ものづくり」
今思うと、単純に寒さと接客の辛さでハイになっていただけなのかもしれない。別に年越し蕎麦に何か特別な思い入れがあるわけでも、アルバイトに情熱を感じているわけでもなかった。「お金あげるから帰っていいよ」と言われたら「ほんとですか!」と言ってさっさと帰っていただろう。
でも、売れた時の楽しさだけは本物だった。それだけは間違いなかった。自分がプレゼンテーションしたものに興味を持ってもらうのは嬉しい。たかが年越し蕎麦を売っただけで何をと思われるかもしれないが、相手を自分のフィールドに引き込むことができたときの気分は、正直言って最高だった。脳味噌をぐるぐる回して何かを成し遂げるのは、間違いなく快感だった。
私は同じ楽しさをまた感じたくて、大学在学中文化祭に関わってみたり、派遣に登録して棺桶を運ばされたり、卒論の評価トップを獲ろうとしてみたり、色々やった。
いろいろやって、最終的にたどり着いた先は「ものづくり」だった。
誰が楽しんでくれるか、どうしたら喜んでくれるか、それを頭の中でぐるぐると回しながらものを作るのは、とても楽しい。できたもので誰かが笑顔になったら、とても嬉しい。だから就活も「ものづくり」を軸にやった。
今でも職として、何をつくったら喜んでもらえるか、どうしたらより便利になるか、常に試行錯誤している。文章を書くのも私にとって大切な「ものづくり」のひとつだ。書くことが好きだし、自分が好きなもので誰かを楽しませたいと思うから働きながらも続けている。
その根底には、大晦日の夜にあの寒空の中で蕎麦を売った時の思い出があるのだ。