私はお風呂の床をブラシで念入りに掃除していた。

「Whoa!! Oh my gosh!」

源泉掛け流しの風呂に響き渡る甲高い声の衝撃を、私は生涯忘れることはないだろう。

神奈川生まれ、神奈川育ち

だるま

神奈川県で生まれ育ち、神奈川県内の高等学校普通科に通って3年目。私はとうとう進路を決める時期に差し掛かっていた。

当時は勉強が好きではなかったが、唯一、苦ではなかった教科が英語だった。海外ドラマのセリフを書き下ろし、辞書で単語を調べ、フレーズごと覚えて使えるようにと一人で英語を学んでいた。なんとなくであったが、将来は英語を学んで、それを活かしていけたらいいなと思っていた。

しかし独学では限界があると感じていた。

そんな中、2つ歳上の兄の友人が別府のとある大学へ進学したことを聞いた。なぜ遠く離れた大分県別府市の大学へ進学したのだろうか。その大学が何か特殊なものなのか、それとも別府がいいところなのだろうか。話を聞いていると、何でもその大学は日本有数のグローバル大学で、世界各国から学生が集まるような大学だそうだ。

それを聞いて私の胸は高鳴った。都会があまり好きではなかったし満員電車が苦手なこともあったので、別府は最高の選択肢だと思った。すぐに私の目指す大学は決まった。

運良くAO入試で合格し、実家から遠く離れた大分県に住み始めた。

別府のゲストハウスで働く

別府の温泉

別府といえば、温泉大国である。海や山などの豊かな自然に囲まれた観光地だ。

大学に入学後、すぐにアルバイトを探し始めた。日々の授業を通して自分の英語力のなさを痛感していた私は、仕事をしながら英語が使えるバイトを探していた。毎日英語を話すことで自分の英語力を向上させることができると思った。

外国人と接することができる職種といえば、観光業だ。日本でも有数の観光地である別府には、多くのホテルが軒を連ねている。ホテルのアルバイトの募集を確認し、片っ端から電話をかけた。しかし、学生を募集している業務といえば、清掃のみであった。英語が使えなければ意味がないと思い、接客ができるホテルをしぶとく探し続けた。

そこで見つけたのが、とあるゲストハウスだった。ゲストハウスはホテルよりも簡易的な宿泊施設だ。ホテルよりもお手頃な価格で利用できるので、家族づれの外国人旅行者や世界中を旅するバックパッカーが多く利用していた。

すぐにそのゲストハウスに応募の電話をかけ、面接へ向かった。オーナーの方はとても温厚な方だった。少しばかり面接をしたのち、すぐに採用の通知をいただいた。私は週3日程働くことになった。

私が求めていた理想のアルバイト

ゲストハウスのリビング

ゲストハウスにおける一般的な業務は、予約の確認と、チェックイン・チェックアウト、ゲストへの対応、また部屋の掃除や物品の補充、そしてお風呂掃除だ。

別府は本当に外国人のバックパッカーや旅行者が多い。ゲストハウス利用者もほとんどが外国人だった。ゲストの中には長期滞在する方もいて、彼らはゲストハウスの業務を手伝うかわりに滞在費を無料にしてもらっていた。

私の当初の希望通り、チェックインやチェックアウトの際にゲストに英語で施設の使い方や周辺施設の説明をしたり、長期滞在のゲストらと共にたわいもない会話をしたり、英語を日常的に使うことができた。外国人と交流するポイントはいくらでもあった。まさに、私が求めていた理想のアルバイトだった。世界各国から訪れるゲストと接するにつれ、英語もスラスラと話せるようになっていった。

それに加えてさすがは別府、温泉は源泉掛け流しで最高に気持ちが良かった。ゲストからも好評で、帰りのチェックアウトの際には温泉がとても気持ちよかったと皆一言添えてくれた。

私が一番好きだったのがお風呂掃除だ。お風呂の床をブラシで念入りに掃除し、ピカピカの状態でゲストに利用してもらうことにやりがいを感じていた。

私は女風呂を掃除していた

温泉が流れている

お風呂を掃除をする際は、お風呂場の前に必ず

”The bathroom is being cleaned now /お風呂場は只今掃除中です”

という札を掛けておく。掃除は新たなゲストがチェックインする前に行うが、もしかしたら既に滞在しているゲストが入りにくるかもしれないからだ。

そんなある日、いつものように予約確認作業やチェックアウト対応、そして部屋の掃除を終え、お風呂掃除の時だった。いつものように、掃除中であることを告げる札をお風呂場の前に掛け、洗剤を床と、浴槽内に撒き、ブラシでゴシゴシと擦り始めた。

ブラシで擦り始めてから数分後のことだった。なにやら甲高い話し声と笑い声が聞こえて来る。滞在しているゲストがお風呂場の前を話しながら通り過ぎているのだろうと思った。

ブラシを握る手に改めて力を込める。床の隅々まで、ゴシゴシと擦る。その時だった、

「ガラガラガラ」

引き戸が開く音が聞こえた。

一瞬私の周りのすべての時間が止まった。

今の引き戸の音は、すぐ近くから聞こえたものだ。近くにある引き戸といえば、お風呂場の前の引き戸しかない。さらに、更衣室からバサっバサっと物音が聞こえて来る。

「最悪だ」

なんてタイミングだ。緊張で思わず笑ってしまった。私が今掃除しているのは女風呂だったからだ。

「これは、一体どうするのがベストなのだろうか」

この場をうまくやりのける方法を必死で考える。

「そうだ!」と、とっさに持っているブラシを大袈裟に床に打ち付けた。

音を出して、スタッフが掃除をしているんだというメッセージを、更衣室にて着替えているであろうゲスト達へ送る。彼女らがスッポンポンで入ってきたら大騒ぎになってしまう。

「頼む、気づいてくれ」

私は必死でブラシを床に打ち付けた。はたから見れば、女湯の床をブラシで叩きまくる頭のおかしい奴だっただろう。しかし彼女らに私の存在を伝えるにはそうする以外なかった。しかし私の願いもむなしく、ガラガラと音を立ててお風呂場の引き戸が開いた。そうして全裸のブロンド女性が二人入ってきた。

「Whoa !! Oh my gosh!」

最初に入ってきた女性が叫ぶ。パニックになっている。後ろに続く女性は何があったのかまだ理解できていないようだった。

ひたすら頭を下げていた

別府温泉のシャッター絵

私はすぐさま頭を下げた。釈明しようとしたが彼女たちの裸をまじまじと見る訳にもいかない。私はお辞儀の状態で床を見つめながら話し始めた。彼女たちは無言のままだった。掃除中であることを一通り話し終えると、彼女達は更衣室の方に走っていった。そして驚いたような声を出して、お風呂場に戻ってきた。

「Oh I’m sorry I didn’t know the bathroom is being cleaned /ごめんなさい、お風呂場が掃除中だと知らなかったの」

最初にパニックに陥っていた女性が私に言った。彼女たちも、寛大な方たちで、自分たちが「清掃中」という札を見てなかったのが悪かったとまで言ってくれた。

当時の私は申し訳なさと、恥ずかしさでいっぱいいっぱいだった。彼女たちの悲鳴は今になっても忘れない。

今振り返ってみて

温泉の煙突と夕日

私は別府のゲストハウスでたくさんの外国人の方と接することができた。今では世界各地に知り合いがいる。仲良くなった旅行者や、長期滞在で業務を手伝うバックパッカーらを連れて地元の掛け流しの温泉へ訪れたりしたこともいい思い出だ。

その後、私はアメリカン大学に編入した。別府のゲストハウスで外国人旅行者とふれあって、英語でのコミュニケーションを学ぶことができた。様々な文化を持つ人と接することで、私の思考は柔軟になり世界の見方が変わった。

しかし、このゲストハウスバイトでの唯一の心残りがある。それは私のせいで、日本の男性は女性に対してお辞儀をしたまま話すのだと彼女達に勘違いさせてしまったのではないかということだ。世界の人からすると、日本人はとてもシャイだとよく言われる。それに加えて「お辞儀をしながら話す」という噂話が新たに生まれていたら、それは私のせいかもしれない。

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