『包めども包めども 隠れぬ人の魂は 身より余れる光なりけり』

几帳面に四角く整えられたきんつばは、薄く透けた衣の下にぎっしりとあんが詰まっているのがわかる。半分に割るとぷっくりとした艶々の粒が弾けんばかりだった。

期間限定の巫女さんバイト

神社の入り口

『巫女のアルバイト3名募集。11月○日〜○日土日祝日、3日間限定。時給900円。当神社のお祭りに合わせ、主に御守りの授与を行っていただきます。』

「ねえ、巫女さんだって!こんな求人初めて見た!私巫女さんやってみたーい!一緒にやらない?」

隣で一緒に大学のアルバイト求人サイトを見ていた日本語が堪能な留学生の友人が、目を輝かせて誘ってきた。

「いいね!これ来週末だって。応募間に合うかな?急いで応募しないと!」

ただ単に、巫女さんの格好をしたい。あの、白い衣に緋色の袴!しかもそんなに大変な仕事じゃなさそうなのに、当時の地方のアルバイトとしては時給がいい。最高じゃん!それだけの気持ちで私たちは応募した。トントン拍子で採用となり、3日間、期間限定の巫女さんバイトが始まった。

アルバイト先の神社は、当時私が大学に通うために住んでいたところからバスで15分ほどのところにあり、周りは小さな商店から大きめの商業施設に囲まれ、地方としては賑かな場所にあった。神社というと、木がうっそりと生い茂り、苔むした石段を登って……という雰囲気を想像しがちだが、商業施設に囲まれたその神社は、日がしっかりと当たって明るく、平成になってから建てられた鳥居が目印の今時の神社だった。

素敵で楽しい3日間

神社の巫女

バイトの条件は、ネイルをしないこと。化粧はナチュラルで。髪は黒か暗めの茶色で、後ろの低い位置で一つに結ぶ。ゴムは黒か茶色。前髪が長い場合は、黒か茶のピンで留める。中学・高校時代だったらつまらない決まりも、巫女さんのバイトとなると話は別だ。

3日間のバイトは、まず、神社に唯一の本職の巫女さんから袴の着方を教わるところからスタートした。本職の巫女さんは、ストレートの長い髪を後ろで一つに結い、和紙でできたシンプルな髪飾りで結び目の辺りを包んでいる。さらに、ご祈祷の際にはそれもグレードアップし、さらに金色の髪飾りや、文様が入った上衣をまとい、とても素敵だった。残念ながら、アルバイトではそれは着ることはできない。許されるのは白衣に緋色の袴までだった。それでも、みな嬉しくて心が躍った。

仕事は簡単。お守りがズラリと並べられた授与所で、お守りを求める方に袋に入れて授与し、お金を受けとる。

「○○円お納めください」と言って、お守りをお渡しする。お釣りとは言わず、「○○円お返しいたします」と言い、「ようこそお参りでした」と言って見送る。留学生の友人だけでなく、私にとっても初めての日本語だ。

他のアルバイト経験があると、つい、「いらっしゃいませ」「○○円です」「ありがとうございました」と言いそうになるが、宮司さん曰く、「お守りは売ったり買ったりするものではない」とのこと。

あとは、ひたすら正座。足が痺れそうになったらそっと崩した。来訪者が途切れたり、休憩の時にはバイト同士でお喋りできるタイミングもあった。もう1人のアルバイトの子も他学部だが、偶然同じ学年。朗らかな気持ちのいい子で、すぐに打ち解けた。

並んだ縁日は老若男女大勢の人で賑わい、神社への参拝がてらお守りを求める人もたくさんいた。食べ物のいい匂いとお祭りらしい音楽の中、楽しい3日間を終えた。

本当の始まり

狛犬

「ねえ、このバイト、土日だけ続けられないかな?楽しいし、大変じゃないし、時給もいいし」

アルバイトが終わって着替えの時、誰ともなく言い出し、3人の満場一致で宮司さんに交渉することになった。

「いいですよ。しかしお祭りも無くなるので、3人はいらないな。……では3月末までの土日、2人ずつのシフトでどうだい?ただし、時給は800円」

一気に100円も落ちる時給に内心がっかりして、私たちは顔を見合わせた。しかし自ら望んでお願いしておいてここで断るのも気まずく、全員が分かりました、と返答した。このくらい簡単な仕事で800円なら、当時の感覚ではギリギリ妥協できたのだ。

こうして、巫女のアルバイトの継続が決まった。これからが本当の始まりだった。

本職の巫女さんはOL風

デスクで作業している女性

土日のアルバイトが決まって最初の日、お祭りの日とはうってかわってシンと静まりかえった神社に出勤すると、本職の巫女さんが以前より細かいことを教えてくれた。お守りのストックの場所をはじめ、細かいものの位置。休憩は、本職の方と同じ休憩室でとること。お祭りの時は半ばお客さん扱いで、誰かしら本職の方が近くに居てすぐに手助けしてくれたが、これからはそうではない。

あまり意識していなかったが、神社に休みはない。私たちがアルバイトに入ることで、本職の巫女さんや神職の男性が土日に休みやすくなったようだ。本職の巫女さんは一通り説明が終わると、更衣室で普段着に着替えて帰って行った。華やかなイヤリングに、メイク、ブランド物のバッグ、ファー付きのコートに皮のブーツ。モテ系の服装に変わると、ケータイをチェックしつつ、私たちに一言言い残して帰っていった。

「○○さんだけど、手がはやいから気をつけて。最近結婚して子どもできたから大丈夫だとは思うけど、念のためね」

私たちはポカンとして見送った。帰っていく姿は、どこからどう見ても、巫女さんには見えない、普通の独身OLだった。

だらける神職

霧の立ち込める森

バイトが始まると、さらに色々な人間模様が見えてくる。

どうやら、神職の中で嫌われている人がいるようだとわかったのは、すぐのことだった。辛辣な言葉が耳に入ってくる。他の全員がそれぞれ罵倒する。1日に何回も聞こえてくる。

「ふざけんな、何やってんだよ!」
「マジ使えねーんだけど」

大体、仕事が遅いとか、何かを忘れていたとかそういう時だ。どこのアルバイト先でも、どこの会社でも、よくある光景なのかもしれない。来訪者からは見えないところで、神職のだらける姿、サボる姿も目にした。

それを見たアルバイトの私たちは驚き、幻滅してしまった。

知らず知らずのうちに、神社で奉仕する神職の方に対して清廉潔白なイメージを持ってしまっていたからかもしれない。

神を祀る社で奉仕する人。厳かなご祈祷の時間。パリッとした装束を着て、摺足で、直角に曲がる、美しい歩き方。言葉少なに、真面目に、背筋を伸ばしてホウキで境内を掃除する姿。

そんな神職の人なのに、こんななの?と、持っていたイメージとのギャップに少なからずショックを受けた。

ちょっと考えれば、当たり前のことだ。ただ神社にお参りに行く時に見える姿が全てではない、同じ人間なのだから。頭で分かってはいるものの、普段より嫌悪感が大きいのはどうしようもなかった。

北海道よりも寒いお守り授与所

雪の結晶

寒くなってきたなとは思っていたが、本格的な冬がやってきた。この地域は標高も高く、冬の朝の気温は氷点下になり、底冷えが酷い。北海道から来た同じ大学の先輩も、地元にいる方が暖かいと言っていた。曰く、北海道の家は二重サッシで寒さ対策がもっとしっかりしているかららしい。北海道民にそう言わしめる地域にあるこの神社、私たちの定位置は、窓を開け放したままの、吹きさらしの、お守り授与所である。

板の間に薄い座布団一枚。小さな灯油ストーブが来訪者から見えない位置にあったが、吹きさらされて暖かい空気はどこへともなく消えてしまう。

臨時のアルバイトの白い衣に冬仕様のものなどなく、透けてしまうので、下に着られるのは白いものだけ。当時は今ほど暖かいインナーは無いし、あっても、登山用などで首まであったり、白くなかったり、高価だったりで、ちょうど良い物が無かった。9時から3時までの間、休憩時間以外冷たい板の間に正座しっぱなしである。

「すみません、何か上に着るものは無いでしょうか。持ってきて着てもいいでしょうか」
「膝掛けを持ってきてもいいでしょうか」
「窓を閉めてはいけませんか」

時折、宮司さんが仕事の合間に様子を見にくるので、その時を待って待って懇願した。しかし、上着はもちろんダメ。窓を閉めるのも、来訪者が声をかけづらくなるのでダメ。私たちの必死のお願いで、聞き入れてもらえたのは、膝掛けのみだった。

「これも修行、鍛錬だよ」

という一言が返ってきて、あとの希望はすっかり潰えてしまった。

鼻水をすする音だけが聞こえる

雪原に昇る太陽

家から白くてなるべく厚手のロンTを一枚着て、バイトの始まりに、更衣室で貼れる限りのホッカイロを身体中に貼る。足袋の下に靴下と足用のカイロを仕込む。手にも使い捨てのホッカイロを握る。これが、自分たちでできる全てだった。

天気の悪い日は、特に酷かった。天を恨み、授与所にほとんど出てこないで済む神職や宮司さんを恨んだ。鼻と耳が冷気で赤く、キンキンに冷え、ヒリヒリと痛んだ。常に鼻水をすすって、こっそりと鼻をかんだ。唇は全員紫色だった。手がかじかんで、お守りを入れる袋を開くのも、お返しする硬貨をつまむのもままならない。顔がこわばって、「ようこそお参りでした」すらうまく言えない。順に熱を出して、シフトが交代になった。

「辛いと寒いと痛いしか言えないね……」
「うん」

ついに、留学生の友人の足に霜焼けができた。一年中温暖な地域で育ったので、初めて出来た霜焼けだと言っていた。正座し続けるだけで痺れて痛い足が、さらに痛み、寒さでこわばり、立ち上がろうとした瞬間、バランスを崩して転倒した。

お祭りの日のようにお守りを求める来訪者が多いわけではなく、ただただ寒さに震えて正座するばかりの時間もあった。そんな時は、もう、何も考えることもできない。ひたすら座り続ける、何も考えない、無の時間。鼻水をすする音が聞こえるだけだった。

こんな状態だったので、陽の当たる日は、心底天に感謝した。冬に差し込む日差しの暖かさ、有り難みをこんなに感じたのは、これが初めてだった。

包めども包めども、隠れぬ人の魂は……

きんつば

宮司さんが時折授与所に様子を見にきて、世間話をすることがあった。ちょっとした世間話から、神社についての話、おすすめの本、お店、そして有難い話まで。様子を見にというよりは、明らかに仕事の気分転換だろうなという感じでフラリと現れることもあった。

最初は神社の参拝作法などバイトにも関わる大切な話もあり熱心に話を聞いていたが、実はこの宮司さんについてもあまり良くない話を聞いてしまった上、こんな寒い状態を強いられていたので、私たちアルバイトはだんだん話半分で聴くようになってしまっていた。

ある日のこと、宮司さんが何かの話の流れで「徳の高い人間になりたいものだが、ままならない」というような話をしていた。というような、と書いたのは、先程の通り、話半分で聞いているから記憶が定かではないのだ。

ただ、ここからは覚えている。留学生の友人が宮司さんに質問したのだ。

「徳って何ですか?」

それに対して、宮司さんはある和歌を紹介した。

『包めども包めども 隠れぬ人の魂は 身より余れる光なりけり』

宮司さんはそれだけ伝えると、話を変え、「きんつばを食べたことはあるかい?」と聞いてきた。

留学生の友人は食べたことが無かったし、私も当時はあんこが苦手だったので食べたことが無かった。

「知り合いの方に頂いたのが休憩室にあるから、後で一つずつ食べていいよ。きんつばというと和菓子だけど、近くの洋菓子屋で作っているんだ。そこのきんつばは、上品で私は一番美味しいと思っている。」

休憩室でいただいたきんつばは、確かにしつこくない上品な甘さで、温かい緑茶に合い、冷えた体に優しい甘味が染み渡った。きんつばってこんなに美味しいものなんだと、驚いた。

几帳面に四角く整えられたきんつばは、薄く透けた衣の下にぎっしりとあんが詰まっているのがわかる。半分に割るとぷっくりとした艶々の粒が弾けんばかりだった。

『包めども包めども 隠れぬ人の魂は 身より余れる光なりけり』

弾けんばかりのあんを見て、私は先程聞いたばかりの和歌を思い出し、忘れないうちにメモをとった。

徳ってなんだろう

鳥居

それから、家で時々メモを眺めてぼんやりと考えるようになった。徳って何だろう。

宮司さんは、この和歌を誦じているということはそれなりに大切にしているに違いない。どんな気持で覚えたのだろう。

宮司さんの良くない噂や、宮司さんに聞いた他のいい話などが、脳裏に浮かんでは消えた。私にとっても、眩しすぎる和歌だった。いつになっても全然こんな領域には到達しそうにないや……。

そうこうしているうちに、アルバイトの期間が終わった。最後のアルバイトは、留学生の友人と一緒だった。お礼を言って、アルバイト代を受け取り、境内に整然と並んだ石畳の端を歩いて鳥居に向かった。もうここにはお参りに来ないだろうな、と思った。

でも、嫌いになったわけでは無かった。本職の巫女さんには憧れたし、宮司さんからいい本を教えてもらったし、いい話も聞けたし、新しい友人もできた。寒さに強くなったわけではないけれど。

包めども包めども、の和歌が脳裏をよぎった。

鳥居をくぐると、私はくるりと振り返り、一礼した。友人も一緒に一礼した。

今振り返って

コーヒーと紙とペン

若かったこの頃は、清濁合わせ持ったものが人間なのだということを受け入れきれないでいた。けれど、あれからたくさんの社会経験を経て、ようやく少しわかってきたかもしれない。

良いだけの人なんてきっといない。悪いだけの人なんてきっといない。見る角度によって、良いも悪いも色も変わるのが人間なんだ。ままならない自分に嫌になったり、自暴自棄になったりもする。人間はどうしようもない生き物だけど、それでもまた、少しでもよくなろう、よくあろうとするのが大事なのかもしれない。

今でも時々あの和歌を思い出す。人間の裏表を見たり、きんつばを見た時に。

私には眩しすぎるし、未だこの和歌の意味を測りきれないけれど、この時のアルバイトで得た一生忘れられない宝物だ。

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