「無料でホスト行ってみない?」

ぬめっとした黒髪のおっさんが言った。

何も知らない女子大生の私は答えた。

「えっ、行きたい!」

それがパンドラの箱だったとは知らずに。

あやしいおっさん

ビールサーバーが並んでいる写真

女子大生だった私はその頃、とある学生街のバーでスタッフをしていた。そのバーはお酒を安くたくさん飲めるお店だったので、騒ぎたい学生はもちろん、飲んべえの社会人も来店するような店だった。いつも繁盛していた記憶がある。

常連はとにかく個性的だった。酒に酔うと必ず失禁して周辺では軒並み出入り禁止になっているオヤジや、とりわけ美人でもないような私をいつも「姫」と呼ぶ明らかにホステス上がりのオネエサマまでさまざまだ。

その中でとりわけ存在感があったのは、横にも縦にも体が大きく、ぬめっとした黒髪が特徴的な「あやしいおっさん」だった。

おっさんはいつも強めのスピリッツをストレートでぐいぐい吞み干すほどの酒飲みで、カウンターに立ってあくせく働いている私にも「おう姉ちゃん、いいから付き合ってや」とテキーラをご馳走してくれるのだった。

酒に割と強い私だが、さすがにバイト中の空きっ腹にテキーラ一気飲みはコタエるので、その後の業務がフラフラになってしまう。奢ってくれるのはありがたい話なのだが、正直、おっさんに対しては「いつも飲ませてくれるが、ちょっと苦手な人」という印象しかなかった。

歌舞伎町への招待

ロウソクの写真

その夜も、おっさんが来店していた。相変わらず顔色が悪いが、ぐいぐいと酒を飲んでいる。食器を磨きながら店長とおっさんの会話を横で盗み聞きしていると、おっさんはどうやら風俗関係の雑誌の編集社に勤務しているということが分かった。

「風俗か……」

女子大生だったその頃の私は、とにかく何事にも好奇心があった。

都会の風俗、と聞いた私の頭にはたくさんのクエスチョンマークが浮かんでいた。いったいどんな人が利用するの?どんな人がそこで働こうと決意するんだろう?どんな会話が交わされるんだろう?

好奇心が爆発しそうだった。

私の心の中を見透かしていたかのように、おっさんが突然話しかけてきた。

「なあなあ、お姉ちゃん、無料でホストクラブ体験してみない?」

「はい?!」

ホストクラブ!?新宿の歌舞伎町にある”あの”ホストクラブに?私が?

田舎者の貧乏学生には無縁な、いや、私には一生無縁じゃないかと思っていたホストクラブだ。頭がついていかない。

でも、なんか気になってきた。

「どうして無料なんですか?」

多分目が泳いでいたと思う。ドキドキしながら質問した。

おっさんは、待ってましたとばかりに説明し始めた。

「歌舞伎町にはたくさんのホストクラブがあるんだけど、どこの店もだいたい初回来店のお客さんは格安のお試し料金になるんだよね。ホスト的には、儲からないし、指名に繋がりにくいお客さんだから、どうしても接客が雑になりがちなんだ」

「でも、そんな中で初回のお客さんのことも大切にするお店が、オレはいいお店だと思ってる。関わっている雑誌を作る上でも参考にしたい。だから、お姉ちゃんにはサービスがどうだったか覆面調査をして俺に報告してほしいんだよね!」

私が不思議そうな顔をしていると、

「ホストの体験料金はこっちが払うから、どうかな?友達も連れてきていいから!店長、お姉ちゃんのこと誘っちゃって大丈夫かい?」

店長は、店の外のことはバイト業務外だし、スタッフ自身が決めればいいよ、と笑いながら承諾した。

私は、なんか面白そう!というワクワクが止められなかった。気づいたら「やります!」と返事をしていた。

その日の深夜、バイトからの帰り道で私は悩んでいた。

「だれ誘おうかな」

ちょっと怪しげなホストの覆面調査のバイトだし、誰にでも声をかけられるわけではない。

その時、その時、ちょうど長髪の細マッチョイケメンが大好きな女友達・カヨコの顔が浮かんだ。彼女なら、きっと楽しんでくれるに違いない、名案だ!そう思って連絡してみたら、即「行く」と返事が来たので、私はしめしめ、と思った。

今思えば、この人選はベストでもあり、最悪でもあったんだと思う。

眠らない街、東京

新宿の居酒屋が並ぶ通り

私たちはその夜、精一杯のおめかしをして歌舞伎町に足を踏み入れた。新宿の繁華街、眠らない街東京の真っ只中。きらびやかな飲み屋街の細い路地を歩いていると、時間を忘れてしまうほどに、どこもかしこも騒がしくてうるさかった。

学生街を飛び出して、「大人の街」で遊ぶのはこれが初めてだった。私たちはビビっていないふりをしようと、上ずった声で当たり障りのない会話をしながら指定の店に向かって歩いていた。慣れないヒールを履く足は不安とワクワクで小刻みに震えていた。

「着いた!まずはこの店か」

この日は、2軒のホストクラブを回る予定だった。最初の店はとても細いビルの2階にある地味な佇まいの店で、ビックリするほど小さかった。実家の田舎のカフェの方が広いくらいだ。なんだ、ホストクラブってこんな感じなの?イメージと違うなあ。

恐る恐るガラス戸を開けると、薄暗い店内から「いらっしゃいませ〜!」と威勢の良い声がした。まるで居酒屋だ。と同時に、髪の毛の長いお兄さんたちがたくさん店内にいるのが目に入ってきた。ホ、ホストだ〜!

店内の小さいテーブルには、女性ペアを取り巻くホストたちの図が。客も店員もみんな大声で会話していて、とても熱量が高い。これがホストクラブか。

オドオドと店内を見渡す私たち2人を見たら、さすがに誰も覆面調査だとは気づかないだろう。

まるでレストランのメニューを出すノリで、「好みのホストを選んでね〜!」と差し出すホスト店員。私とカヨコはさんざん悩んで、明智光秀(仮)という、戦国武将らしきホストを指名してみた。

「いや〜まさか俺を指名してくれるとは思わなかったっスよ〜〜!」

明るいテンションの明智と、補佐のホストもう1名が私たちのテーブルについた。そこから、私たちに雑談をふる→鳴かず飛ばずのシンプルな返答をする→それをタネに男2人で新人芸人のようなボケとツッコミの応酬をするそんな無限ループで30分ほど過ぎていった。

シャンパンが並んだ写真

指定の時間が終了して、私たちは店先のエレベーターまで送り届けられた。「また来てね〜!」と頭を下げられる。

全くトークが弾まなかった。

先ほどの店では、あまりにトークが弾まなかったので酒を飲むしかなかった。しかし、酒を飲みながらも、私は相手ホストのトーク術や会話の切り返しや、接客から伝わる姿勢などを俯瞰しつつ細かくチェックしていた。

ほろ酔いになった頭で、路上で大・フィードバック大会を開始。そう、私たちはあくまで「覆面調査」業の真っ最中なのだ!!

「これじゃあ大学のサークルの男子と居酒屋にいるのと変わんないな」
「うちの大学の男子の方がトークうまくない?」
「2人の掛け合いが客から話を引き出すより笑いに走ってた」
「明るく楽しい雰囲気づくりはよかった、武将の名前もユニーク」

今思えば、ど素人のわりには鋭い指摘も出していたと思う。

ワキャワキャしゃべっているうちに、次の店に到着した。と同時に、一気に緊張感が高まる。

先ほどの店とはうって変わってなんだか本格的というか、中型のラブホテルのような外観だ。真っ黒な壁に、玄関には赤色のグラデーションに光るLEDがギラついている。今からここに入るのか。

ホストってすげえ。驚愕の2店目

シャンパングラスが並んでいる写真

入店するやいなや、「初めての方はお好きなホストをダレでも自由に選べますからね〜!」「今日はNo.1がいないんですけど」「あれっお姉さんたち、No.2を指名しなくていいんですか〜〜?」と店員ホストが気さくに案内してくれた。一瞬の対応ではあったが、この店はなんだか居心地がいいかもと思った。

店内は広くて薄暗かった。4人がけのテーブル席がずらっと奥まで並んでいる。店の中央には厚い壁の仕切りがあり、落ち着いた内装だった。

イケメンだという理由で友達が指定した若手ホスト海龍太(仮名)が着席するなり、開口一番「指名してくれて嬉しいです。俺この店で最下位なんですよ。」と発言するので私たちは驚いた。どう反応していいか分からず適当に相槌を打っていると、

「俺、君みたいな女性、好きなんだよね」


・・・・・?


おっとーーーーーーーーー!!!会話スタートから5分、ど直球な社交辞令キタコレ!!!いったい、今までのどこの会話で私の性格を感じられたというのだろうか。この違和感よ。ここれが最下位たるゆえんなのかっ!?隣ではカヨコが苦笑していた。

だが、さすが最下位のホストというだけあってまたしても話が盛り上がらない。30分ほど経ったころだろうか。「この女たちは、わーっと盛り上げるタイプのホストではなくてロジカル責めがいいかもしれない」と判断した店側の工夫なのか、なんと私たちと同じ大学に通っている現役学生ホストがテーブルに派遣されてきた。

もうこの人選には私たちは興味津々で、このときばかりは覆面調査のことを忘れて、学生ホストへ質問責めしてしまった。

「どういう雇用形態なんですか!?」「バイトだよ(笑)」
「なんでこの求人知ったの?きっかけは?」
「何学部何学科?サークル入ってますか!?」

もはやホストのラウンジではなく、大学のラウンジでダベっているノリである。ただこの学生ホスト、淡々と話を聞いて淡々と的確な返答を打ち返してくれるので、これはこれで居心地の良い会話を楽しめることになった。全てはお客さんとの相性。なるほど、こんなホストもありなのか!

ハートが敷き詰められた写真

最後に、お店のNo.2ホストに接客してもらえることになった。容姿端麗なイケメンだったのだが、他のホストと違うな〜と感じたのは「余裕」だった。月並みな表現だが、なんだか大人の男性という感じだ。この人はきっと、仕事としても自分に自信を持つようにしているんだろう。

No.2との会話は楽しかった。何と言っても、私たちに興味を持ってくれている感じがするのだ。自然に、No.2さんのこともどんな男性なのか知りたくなる感じだ。ほんとうに自然に雑談を楽しめるのだが、時々ふいに「君は意外におちゃめなところがあるんだねぇ(笑)」なんて挟んできたりして、ストレートに口説かれているわけではないのに、ドキッとしてしまうようなセリフを口にするのだ!

アイスブレイクの雑談かと思えば、一気に彼氏感のある距離感まで詰めてくる緩急。これが接客のプロなのかと舌を巻かざるをえなかった。

というような内容のレポートを、帰りがけに編集部のデスクに寄って報告する私たちなのであった。

デスクに着くまでにはアルコールが回りきって、もう前後不覚のヘロヘロ状態になってしまっていた。しかし、PCを前にすると瞬時に頭が切り替わり、カチャカチャカチャカチャッターーン!と指が回る。まるで日記ブログを書くように、女性大生が率直に思ったこと、分析したことを書き連ねていった。

フラフラの私たちに何度電話をかけても繋がらない状況だった依頼主のおっさんは、やや腹を立てていたようだったが、私たちの詳細なレポートを見て感心したのか「またやってよ!」と声をかけてくれていた。

ホストを無料で楽しく体験できたうえに、ある程度仕事が評価されたのかな〜と感じて嬉しくなった私は、「どうしよっかな〜」とデレデレしていた。しかし、スマホに表示されたLINE通知を見て、突然頭から冷水をぶっかけられたような気持ちになった。

それはカヨコからだった。文章はこう始まっていた。

「ハマったかも」

カヨコはホストにドハマリしていた!!!!

女性が一人で座っている写真

なんとカヨコはホストにガチ惚れしていたのだった。

いつ?どのタイミングで!?完全に不覚だった!!

話によると、カヨコは最初の店でテーブルについてくれたホスト(たぶん明智の補佐?)と連絡先を交換。連絡先交換じたいはホスト文化では一般的。というのも、メーリングリスト的に毎日「営業ラブレター」を送るのも彼らの仕事の一環なのである。

「早く会いたいよ白雪姫のように繊細で守ってあげたくなる君のことを考えると胸が苦しくて」なんて、歯の浮くようなセリフをたっぷり盛り込んでくれる特製ラブレター。最初はすごいなあなんて興味津々で読み込んでいたのだけど、私はお姫様扱いされるのが苦手なタイプだったので、早々に着信拒否をして、届かないように設定してしまった。

しかし、カヨコはそのラブレターに返信したことがきっかけで、ホストと店外でも仲を深めるようになったとのことだった。カヨコがあのラブレターに返信するなんて、思ってもみなかった。

さらに、なんと次のバレンタインデーに、実家にホストを招いて手作りパンケーキを振る舞うとの約束まで取り付けていたからビックリ!

「ホストって、同伴っていう営業活動で、女性とデートしたりするんだよ!」
「特別な相手じゃなくても、仕事で店外の活動もしてるから、本気になっちゃダメだよ!」

わかってるとカヨコは言ったが、どうやら気持ちを抑えられないらしい。パンケーキデートを取りやめる気はなさそうだ。な、な、なんてこった!!

もちろん、店舗に実際に足を運んでいるわけではないから、大金を支払ってしまう可能性は低い。しかし、私たちは大学生だ。お金がないことを理由に、どんな危ない誘いがあるかわからない!

バレンタイン当日、私は最強にヒヤヒヤしながら、カヨコから連絡がこないかスマホを見守って過ごした。元はといえば私が蒔いたタネだ。カヨコに何かあったら、それは私の責任でもある!

カヨコは、ホストを自宅に招いて告白にまで及んだらしいのだが(本気だ)、今は付き合うことはできないと言われたそうで、かなり凹んでいた様子であった。

ここでとりあえずは一件落着となった。

今では笑い話になっているけれど、あの時にどうしてもホストを繋ぎ止めたいあまりにカヨコがどんどんホストクラブに通ってしまっていたら、どうなっていたんだろう。そう考えるとゾッとする。

その後も、おっさんはバーに飲みにきて「またバイトしてよ〜」と誘ってきてくれたが、私は友達の一件で完全に気持ちが参ってしまっていたので、のらりくらりとかわし続けた。加えて、このおっさんになんとなくではあるが裏の部分を感じるようになっていた。そのうち、毎回断るのもしんどくなり、私はバー自体を辞めてしまったのだった。

ホストクラブ覆面調査から学んだこと

穴を覗き込む少女

世の中は、弱肉強食だ。

女子大生だからって容赦はない。この過酷な世界では、私たちは「若い女性という価値をもち、ほどよく金に困り、承認欲求に飢えている人間」だとみなされている。

無料でホスト体験できるという権利ばかりに目がいってしまうと、その裏にある、落とし穴に目がいかなくなってしまう。覆面調査員として最適でありながら、私たちは最も顧客になりやすい相手でもあったのだ。

もしも権利をうまく使いこなしながら、この世界に溺れることなく泳いで行きたいのなら落とし穴の場所もしっかり知っておかねばならない。自分が持っている価値をフルに活かしながら、その価値が一緒に運んでくる毒への対処法も学んでおこう。まだハッキリとは分からないけれど、そうして生き残っていった先で初めて優しくて強い大人になれるんじゃないか、と思っている。

ホストクラブ覆面調査の経験を通して、私はそんなことを考えたのであった。

ちなみに、大丈夫、カヨコは元気です!(笑)

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