「お前、人間失格だな」

万引きで捕まった上田に私は言った。彼とはそれ以来会っていない。

初めてのアルバイト

スーパーカブの昔の写真

バイトをしていたのはもう10年以上前のことだ。人生初のアルバイトは近所のスーパーだった。仕事の内容は、総菜部門での清掃や簡単な調理で、時給は850円。今思うとちょっと安い気もするが、当時の私の地元ではこれが普通の金額だった。今ではもう店名が変わっている。それでもちょっと買い物に立ち寄って見てみると、私が作業をしていた調理場は昔の面影を残したままだ。

私の地元、四街道市は首都圏のベッドタウンとして発展した閑静な街である。引っ越してきた当初は、空き地が目立ち、スーパーどころかコンビニもなかった。ようやくできたお店が、私のアルバイト先となるスーパーだった。食料品から衣料品まで取り扱う巨大なスーパーだ。学生のとき、実家から近かったのでとりあえずそこへバイトの応募をした。

初めてのアルバイトということもあり私は緊張していた。とりあえず早めに行くのがいいと思って面接の20分前にはもう社用入口前に着いていた。面接官には開口一番、「もう来たの?」と言われた。あきれ顔で言われたその第一声をよく覚えている。

スーパーの惣菜部門で働く

スーパーの惣菜コーナー

その後週4日くらいで働き始めた。私が配属されたのは惣菜部門だった。平日の1日3時間。バイトは夕方からで、仕事内容といえば主に皿洗いと床掃除だった。たまにギョーザを焼いたりするくらいで仕事はとても楽だった。閉店は20時だったが、19時くらいになるとお客さんが減ってさらに暇になる。暇なときは調理場でボーっと突っ立っていた。あまりにふぬけた態度だったのか、ある時「お客さんに見えないようにして」と総菜部門のリーダーに指導された。それからは調理場の奥でボーっと突っ立っていることにした。

同僚はみな総じていい人だった。特にひとつ上の先輩は面白い人だった。鈴木先輩という。スズキの原付に乗っていた。将来は、スズキの軽を買うと話していた。彼はうなぎが大好物だった。バイト先のルールとして、廃棄商品の持ち帰りは禁止されていたが、商品のうなぎが廃棄になるとよくコッソリ持って帰っていた。

「俺ちょっと行ってくっから、出動の着メロ流して」

当時はガラケーが主流だった。私がガンダムの曲を流したところ「それじゃない」と彼に言われた。

持ち帰りは駄目だがその場で食べるのは大目に見てもらえた。寿司が廃棄になると、鈴木先輩の友人も招いたりしてみんなで寿司パーティーを開いていた。「本当はダメなんだよ」といいながらも社員の人も食べていた。一度、スーパーの偉い人に見つかったこともある。その時は、さとすように静かに怒られた。しかしその時もちょっと怒られただけで、特にそれ以上のペナルティはなかった。おなかを空かせた学生が廃棄の寿司を食べているということでお目こぼしをしてもらっていたのだと思う。

ネギトロの鬼となる

太巻きがバットに入っている

暇で、働きやすくて、ある意味食べ放題。そんなバイトの話を友人に話すと「何それ?めっちゃいいじゃん」と食いついてきた。彼の名前は上田という。私とは小中高と同じ学校で塾も同じだった。お互いにいろんなことを知っている間柄だった。かっこよくて、おしゃれで、いいやつだった。上田はレジ係となった。

平日のバイトに慣れてくると、総菜リーダーから、土日祝日のアルバイトも依頼されるようになった。土日祝日は時給が100円アップになり、働く時間も7時間以上になるため、とても稼げた。だが、仕事はしんどくなった。ただひたすらに太巻きを巻く環境で私は太巻寿司高速巻きというスキルを身に付けた。そのスキルを身につけてからは、私は「ネギトロの鬼」という異名でたいそう重宝されるようになった。私は無心で太巻きを巻き続けた。太巻きを巻く腕はさらに上がっていった。しかし5、6時間ずっと太巻き寿司を巻き続けるのはかなり苦痛だった。このスキルがその後の人生に役立ったことはない。

鼻がもげそうなグリストラップ清掃

ゴム手袋と洗剤とぞうきん

バイトに入りたての頃、一番つらかったのはグリストラップの清掃である。

このグリストラップというのは、とても臭い。下水のような独特のにおいである。油などを下水に流さないための設備で、床下にあり、ごみなどを受け止めるザルが取り付けられている。ザルに油カスなどがたまり、油や野菜くずなどがそのまま下水へ流れてしまわないような構造になっている。底に油が沈殿するので2週間くらい放っておくとヘドロみたいになって臭いもかなりきつくなる。素手で触ると手についたにおいは洗っても簡単には取れない。当時は、グリストラップをただのくさい場所と思っていた。私が初めてやった時は気持ち悪くなったし食欲もなくなった。せっかくの寿司パーティーもグリストラップの掃除で台無しになった。

ただ何回もやっているとどれだけ臭くても慣れてくるものである。最初はリーダーに指示されたらやるという受け身なスタンスだったが、バイトが暇だったということもあって次第に自分から週1回以上のペースで清掃するようになっていた。頻繁に清掃すると匂いも減り、かなりイージーな仕事になる。あんなに臭かったグリストラップが自分の日頃の清掃によってピカピカを保っているのを見ると、なんとなく頰が緩んだ。清掃の効果が如実に現れる部分である。

上田の万引き

くしゃくしゃになった千円札と小銭

「おい、お前の友達、やっちまったよ」

いつものようにグリストラップを掃除している私に話し掛けてきたのは西川きよし似のリーダーだった。今にも目玉が飛び出しそうだった。

「え?何ですか?」と尋ねる私に、リーダーは人差し指を曲げてみせた。ピンとこなかった私を察したのか、リーダーは「万引きだよ」と小声で教えてくれた。どうやらそれは盗みを意味するらしい。

「えらいこっちゃ」

上田は、店内でヘアワックスを万引きして捕まったらしい。上田とは寿司パーティーもしたし、グリストラップも共に掃除した。終業後夜まで一緒に話し込んだこともある。以前、上田の担当レジでレジ締めの時にお金が合わなかったなんていう噂を耳にしたことがあったが、それも彼の犯行だったのだろうか。

「やべえなぁ」とつぶやきながらリーダーはどこかへ歩いて行った。

私は上田の万引きについて多少の責任を感じていた。仲良くしていたし彼を紹介したのが私ということもあったからだ。

仕事を終え、タイムカードを切り、更衣室へ向かっている途中に私は上田にばったり会った。上田は総菜リーダーと一緒だった。固い表情をした上田は私と目を合わせなかった。私はにらみつけるような目をしていたのかもしれない。無言ですれ違った彼の背中に私はこう言った。

「お前、人間失格だな」

上田が、どんな表情を浮かべていたのか、私は知らない。かすかに肩が震えたように見えた。しかし上田が振り向くことはなかった。

後日、リーダーに「あれはひどいな」と言われた。でも、そのくらい言わなければ、もやもやした自分の気持ちを処理できなかった。なんだか裏切られたような気がしていた。

万引きが見つかった上田はバイトを辞めた。聞くところによると、どうやら警察沙汰にはならなかったらしい。

上田がそのスーパーを辞めたときからもう随分と時が経ったが、彼とはそれ以降全く連絡を取っていない。ラインはもちろん、フェイスブックでもつながりはない。向こうから連絡が来ることもない。

あのとき私は彼にどういう言葉をかければよかったのだろうか。

今でもあの寂しそうな背中を思い出すことがある。

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