「は? 温めないでスパゲッティー食ったらガビガビだろ。何言ってんだよ!」

と彼は言い捨てた。私は一瞬フリーズしたが、すぐに我に返り「そうですよね、申し訳ございません」と引きつった笑顔で答えた。

初めてのコンビニアルバイト

青空とローソンの看板

私は昔から正義感のかたまりだとよく人に言われた。子供の頃は将来警察官になるんだなとおぼろげに考えていた。

しかし大学生になるとそんなことも忘れて青春時代を楽しむようになっていた。中でも大学生のうちにやっておきたいことの一つにアルバイトがあった。とりあえずバイト求人誌をめくり、コンビニで働いてみようと思った。

最初は覚えることが多くて大変かなと思ったが、3ヶ月ほどすると大体のことはできるようになった。10代から50代までと幅広い年代のバイト仲間は皆気の合うメンバーばかりで居心地がよかった。時々オーナーがおでんの残りをくれることもあった。私にとっては、天国のような職場だった。

コンビニには色んな人がやって来た。私を孫のように可愛がってくれるご婦人、「おねいちゃんと、結婚する」と言ってくれる4歳の男の子、元県庁勤めのご老人、「これ、購読してるんだけど、母が既に新しいのを買ってくれてたから」とはにかみながら『週間プレイボーイ』を返品しに来る40代の男性など、個性的な人たちがたくさんいた。もちろん、「支払い時に小銭を投げてよこす客」や「目当ての弁当が売り切れでかんしゃくを起こす客」などもいた。でも私にとってはそこまで難しいお客さんではなかった。

私は仕事に慣れるにつれてだんだんと調子に乗っていった。当時19歳そこそこの小娘だったが、「態度が悪く、非常識な客にはそれなりの接客をしても問題ない」という「目には目を、歯には歯を」が正義だと勘違いしてしまっていた。

タカシの出現

青いTシャツ

ある日、やたらとイライラしたように商品を選んでいる客がいた。背中に大きく「TAKASHI」と描かれたTシャツを着ていた。彼はしばらく悩んで、「カルボナーラ」と「極上のフィナンシェ」というお菓子を手に取った。レジにつくと私はにこやかに「パスタは温めますか」と聞いた。

「は? 温めないでスパゲッティー食ったらガビガビだろ。何言ってんだよ!」

と彼は言い捨てた。私は一瞬フリーズしたが、すぐに我に返り「そうですよね、申し訳ございません」と引きつった笑顔で答えた。レンジで温め終わると彼は奪うようにしてパスタを受け取り、ズカズカと店から出ていった。

ぬるま湯のように恵まれた環境でアルバイト生活を送っていた私はひどく驚いてしまった。タカシのあまりに威圧的な態度が怖かった。たった一瞬だったが、私の心が萎縮してしまうのには十分だった。

それからというもの、私は毎日のように「今日はタカシが店に来ませんように」と祈るようになった。それくらいでと感じる方もいるかもしれないが当時の私はとても臆病になっていた。

私の祈りはむなしく、タカシは毎日のように店にやって来た。食事については、日によってパスタだったりチキンカレーだったりかき揚げ蕎麦だったりと様々だったが、必ず「極上のフィナンシェ」を一緒に購入していた。

悪夢のような一日

割り箸がたくさん

タカシはいつも不機嫌そうに「箸!」「フォーク!」「袋は別!」などと私に指示をした。私もだんだんとタカシの暴言に慣れ、もはや「ちょっと手のかかるイヤイヤ期のぼうや」くらいに考えられるようになっていた。そんな気が緩み始めたある日のことだった。

いつも通りの時間にタカシが来店した。弁当やらパスタやらを物色している。私はその日ひどい頭痛に悩まされていて、店長に「なんとか早退出来ないか」と相談をしたが「他にシフトに入れるメンバーがいないから」と断られ、ふらつきながら業務にあたっていた。

そんな中でもタカシは容赦ない。麻婆豆腐丼のバーコードを読み取ってから、「こちら温めますね」と伝えた。タカシはこれまでの来店において、レンチン率が100%だったので、私にはなんの疑問もなかった。が、タカシはものすごい形相で私を睨み、

「誰が温めてくれって頼んだんだよ、家に着くのは1時間以上後なんだよ!」

と言い放った。

初めてタカシに会ったあの日のシーンが鮮明に思い出された。本当に悔しくて、腹が立って、涙が出そうだったが、その一瞬はなんとか我慢した。しかし、「支払い!早くしろよ!」というタカシの暴言を聞いて、私はついに大きなため息をついてしまった。

しまった! と思ってももう遅い。「○○○円でございます」と何食わぬ顔でレジの対応をするが、ふと顔を上げるとタカシが夜叉のような顔をしてこちらを睨んでいた。その恐ろしい形相を見て私は息をのんだ。

タカシはオーナーを呼べ!と怒り狂うだろうか。あるいはこの場で私に店員失格だ、と怒鳴り散らすだろうかと思った。瞬時に覚悟をしたが、タカシは小銭を投げて支払いを済ませ、いつもよりも強い足取りでダンダンと音を立てながら店を出ていった。助かった。私は大きく深呼吸をした。

私はタカシに勝ったと思った。

タカシの逆襲

スマホを操作している

次の日だった。いつものように店に入りバックヤードに入ると、店長が暗い面持ちで立っていた。「お疲れ様です」と、そこまで気に留めずにパソコンで出勤処理をしていると、店長がおもむろに話しかけて来た。「あなたに……クレームが入ってるよ。それも、かなりお怒りの様子みたい」と信じられない事を告げられた。

一瞬何が起こったか分からなかったが、すぐにピンと来た。タカシだ。タカシがクレームを入れたのだ。店長に詳しく話を聞くと、私の店舗に直接連絡を入れたわけではなく、なんと大元である本社に1,200文字超えの長文のメールを送り付けたのだそうだ。正直、初めは「私はそこまで悪い事はしていない!」「そもそもタカシの態度が日常的に威圧的で……」ともろもろの言葉が脳裏に浮かんだが、そんな言い訳が許されるはずもない。私は口をつぐんでいた。

それからが地獄の日々だった。本社の人が私の店に視察に訪れてきた。「掃除が行き届いていない」と今回のクレームとは関係ないところまで細かく指摘される。店長の機嫌はどんどん悪くなり、「そもそもあなたがクレームを入れられるから」と私に矛先が向いた。

他のメンバー達はタカシの日常の様子を認識していたので、「気持ち分かるよ、私があなたでもそうしていたよ」と慰めてくれた。その言葉にとても救われた。とは言え、私がタカシからクレームを入れられたという事実は消えない。本社の人間からはまるで罪人のように扱われた。

危険因子だと判断されたのか、オーナーも店長もどこか私を監視しているようだった。さらに最悪な事に、私に名指しでクレームを入れてからも、タカシは毎日店に来た。私にはタカシが何を考えているか分からなかった。タカシはご丁寧にも必ず私が担当しているレジに並んだ。私が力なく「温めはいかがなさいますか」と確認するが、タカシは横を向きながらただ不機嫌そうに頷くだけだった。タカシは言葉さえ発しなくなっていた。あんなに楽しかった、天国だとも思えた職場は、もはや地獄となった。

タカシがいた

ホームセンターの店内

週に3日のアルバイトの勤務日はもれなくタカシに会わざるを得ない。私はそれ以外の時間はなるべく彼の事を考えないように、別の事に意識を向けて生活をするようにしていた。

その日も、気分転換に部屋の模様替えでもしてみようかと思い、カーテンや家具を見るためにホームセンターに足を運んでいた。普段は行かないような町にあるお店だが、その日はたまたま知人のアパートに遊びに行った帰りだった。初めての訪問だった。そこに、なんとあのタカシがいた。タカシはそのホームセンターのスタッフだったのだ。

私は彼の姿を発見した瞬間、無意識に棚の陰に隠れた。どんな確率だよと呟き、その場から急いで逃げた。頭痛とめまい、そして吐き気のような気持ち悪さに襲われ、化粧室に逃げ込んだ。

個室に腰をおろした瞬間、なぜか涙が溢れて来た。タカシもまた、ジャンルは違えど私と同じ「ショップスタッフ」だったのだ。同じ立場でありながら、なぜ日常的に私に対してあのような態度をとっていたのだろうか。私は、自分が客の立場の時、自分がされて嫌な事は店員さんに対して絶対にしない。それが私なりの誠実さであり正義だからだ。でも、その考えが通用しない場合もあるのだと、私は身を持って実感した。「もうアルバイトを辞めよう」と、そのホームセンターの化粧室で決心した。

赤髪スーツの男性

メガネとペンとメモ帳

タカシが勤務するホームセンターを訪れて以来、初めての出勤の日だった。私はすっかりやる気をなくしていて、何をするにも力が入らなかった。さすがにレジの応対時には笑顔を絶やさないように努めたが、内心は「今日もタカシがやって来るのだろうか」「タカシに会いたくない」「この場にいたくない」「仕事を辞めたい」という気持ちが渦巻いていた。

そんなとき、一人の客が私に話しかけて来た。「何かありましたか、元気がないようですが」と、どこか遠慮がちに声をかけてくれたその男性は、よく来店してくれる客だった。赤髪にスーツ姿という派手なファッションとは裏腹に、お願いしますと言いながら品物を差し出し、ありがとうございましたと言いながら小銭を受け取る様子がとても印象的だったのでよく覚えていた。

私は少し驚きながらも、

「ちょっと……落ち込んでおりまして。はは……でも、お気づかいが嬉しいです。ありがとうございます」

と伝えた。正直な気持ちだった。心が弱っている時は、このような人のあたたかさが身に染みるものだなと、しみじみ思った。

男性は少しの間沈黙し、私から小銭を受け取った。次の瞬間、突然「これ、お時間のある時にでも」と私にメモを渡し、一礼をしてその場から去って行った。私は何が起こったのか理解が出来ずに立ちつくしていたが、一緒にシフトに入っていた男の子がバックヤードを指し、「自分がレジ見てるから、今読んで来たら」と粋な計らいをしてくれた。

もう一度やってみる

カスミソウの中に赤い花

バックヤードに行って男性がくれたメモを開いてみると、几帳面な文字で短い文が記してあった。

「いつも優しく接客してくれるあなたを、とても素敵だなと思っていました。自分はもうすぐこの町から去りますが、最後にあなたの笑顔が見たくてお店に来ました。今までありがとうございました」

これだけが書かれていた。

この男性はいつも礼儀正しく対応してくれるので、こちらもおのずと優しく、丁寧な接客になっていたのだろう。だが、この手紙を読んで私は無意識のうちに「私に対して優しい人にはこちらも優しく接して、態度が悪い人には同じように冷たくしよう」と、カテゴリー分けをしていた自分に気がついた。タカシについてもそうだった。これは「社会人失格」だ。アルバイトだろうがなんだろうが客からすればそんなことは関係ない。その場で働く人は、高校生であろうが大学生であろうが皆、「社会の一員」なのだ。

でもその一方、他者への思いやりの気持ちを持っていつも誠実に接していれば、必ず誰かが見ていてくれて、自分でも気が付かないような魅力を発見してくれるのだと、この男性に教えてもらった気がした。

「誰かがきっと見ていてくれる」

新しい気持ちでレジに戻ると、ちょうどタカシが自動ドアから入って来る姿が見えた。私は満面の笑顔で、

「いらっしゃいませ!」

と挨拶をした。

タカシの困惑した顔を見ながら、もう少しだけ、このアルバイトを頑張ってみようと思った。

あの手紙にはこの町から去ると書いてあったが、いつかまた会える事があれば、あの赤髪スーツの男性に感謝の気持ちを伝えたいと思う。

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